映画と本の感想ブログ「映画の本だな」

いつかディズニー映画を英語で観るために頑張るブログ。

映画「ルーシー」

Life was given to us a billion years ago. Now you know what to do with it.

映画「ルーシー」

 

 

”四つ目の要素、「時間」は、自然作用についての客観的・合理的説明の基礎になる。

 知識と好奇心は人間を、他の動物よりはるか遠くへ進むよう駆り立てた。”

書籍「進化を超える進化 サピエンスに人類を超越させた4つの秘密」

ガイア・ヴィンス 著

野中香方子 訳

 

映画"Lucy"

2014

リュック・ベッソン 監督

 

 引用した書籍は、「ネイチャー」誌の編集者を務めた経歴のある

サイエンス・ライター、ガイア・ヴァンスの著書です。

人間の進化において、重要な役割を果たした四つの要素を

「火」「言葉」「美」「時間」と想定し、

人間が他の動物とは異なる進化の道筋を歩んでいる、というのが本著の主題です。

 そして最後の要素――「時間」――に関する章から、

冒頭の文章を引用させていただきました。

 誤解のないように書いておきますと、彼女は科学者ではありません。

本著も論文ではなく、内容のすべてが科学的に精査されたわけではありません。

もちろん読み物としては面白い……しかし、書かれたことのすべてを

「事実」や「真実」のように扱うのは御法度です。

あくまで一個人の考え。

 

「こうだったら面白くない?」

「こことここって、似てると思わない?」

「こういう理由じゃないかと思うんだけど、君はどう思う?」

 

――筆者からの、こういう提案や仮説を楽しむ「文学作品」です。

 そこだけ、ご注意くださいませ。

 

 さて、翻訳なので一部、読み取りにくい表現はあるものの、

専門家ではなく、一般の読者をターゲットにしたであろう本著は、

明確に4つの要素の出現・習得を人類の進化のターニングポイントに定めており、

とてもとっつきやすいテーマの本です。

 そしてこの「時間」は、今回取り上げた映画の中でも、

人類進化の歴史上、重要な要素として扱われています。

 

 ふとしたことからトラブルに巻き込まれた主人公:ルーシー。

彼女はマフィアの取り引きに強制参加させられ、麻薬の袋を体内に入れられます。

そして、麻薬の運び手として、海外へ移動する羽目に……。

 しかしこの麻薬は、人間の脳を活性化させ、潜在能力を引き出す効果があり、

マフィアに暴力をふるわれ、体内で麻薬の袋が破れることで

ルーシーは麻薬の力で、自分の脳を活性化させることになります。

 手に入れた力は、まさに超能力のそれ。

麻薬の影響か、彼女からは人間らしさ――感情――が抜け落ちていきます。

 急激な進化を数日で体験することになる彼女は、自らの「終わり」が

すぐそこまで迫っていることを理解します。

そして、脳の活性化で現在の人類を超えた存在になった彼女は、

知り得た知識を後世に託すために、脳科学の権威である学者の元に向かいます。

 しかし、そんな彼女をマフィアたちが追っており……――。

 

 主人公の名前である「ルーシー」。

 この名前を冠する、有名な女性がいます。

エチオピアで発見された、アウストラロピテクス・アファレンシス

(アファール猿人)の化石人骨――彼女もまた、「ルーシー」と呼ばれています。

 明言されていませんが、映画の中で、主人公ルーシーが出会う、

毛むくじゃらの猿人が、彼女だと思われます。

 脳の力を最大限に引き出せるようになった主人公が、過去にさかのぼって

猿人のルーシーに――サルからヒトへの進化の一端を示したルーシーに――

出会うこのシーンは、人類の進化の不思議さと、その歴史の長さを感じさせます。

 

……が、ちょっとお待ちください。

 

 ルーシーは、現世人類の直接の祖先ではありません。

彼女の化石は、彼女が二足歩行していたことを示しておりますが、

進化の道はいわゆる一本道ではなく、様々に分岐し、その内のいくつかは

消滅し、現在、地球上で二足歩行しているのが我々ホモ・サピエンスなわけです。

 なのでこのシーンは「んん?」となってしまう。

もちろん、制作サイドの意図はわかる。

でも、やっぱりおかしい。

 

 ちょっと納得がいかない。

 でも、アクションはかっこいいし、設定や世界観も面白いので、

観ておいて損はありません。

 まあ、科学の発展によっては、ルーシーと人類の位置づけなんて、

簡単にひっくり返る可能性もありますからね。

 ゆる~い気持ちで、サイエンス・フィクションは、楽しみましょう。

 

【映画のキーワード】

#SF #アクション #正露丸

 

 

 

映画「ウォルター少年と、夏の休日」

If you want to believe in something, then believe in it. Just because something isn't true that's no reason you can't believe in it.

映画「ウォルター少年と、夏の休日」

 

”「バカだな、ウォルト」

  ハブは腕を組み、ほんの少し笑った。

 「信じたいことを信じればいい。

  真実であってもなくても、そんなことはどうでもいいんだ。

  お前が、何を信じたいかが問題なのさ」”

書籍「ウォルター少年と、夏の休日」

ティム・マッキャンリーズ 著

酒井紀子 訳

 

映画"Secondhand Lions"

2003

ティム・マッキャンリーズ 監督

 

 10代の頃に好きだった作品が、その後の将来を決定づけるなら、

この作品が、コザクラにとっては、まさに「そう」です。

 偏屈ジジイ2人と一緒に夏休みを過ごすことになった、軟弱少年が、

冒険を乗り越えて「大人の男」に一歩近づく物語。

 それが、映画「ウォルター少年と、夏の休日」です。

 

 舞台はアメリカのテキサス。

手に職をつけるため、寮付きの専門学校へ通うことになった母親:メイは、

息子:ウォルターを大伯父(祖父母の兄弟。ここでは、メイの母親の兄たち)の

ハブとガースの2人に預けることにしました。

 緑の少ない、乾燥した広い大地を走るキャデラック(アメリカの高級車)。

車内のウォルターは、眉を下げ、口をへの字に曲げています。

彼は、会ったこともない大伯父たちと夏を過ごすよりも、

母親と一緒にいたかったのです。

 手製の「立ち入り禁止」看板が並ぶ一本道を行った先に、

恐竜を思わせる外観の、古びた家が建っていました。

ウォルターが車を降りようとすると、突如、複数の犬が現れ、吠え立てます。

犬を飼ったことがないウォルターは、びびって車から降りられません。

……おや、よく見ると、犬たちに交じって、1匹のブタがいます。

 メイに促されて車を降りたウォルターは、

銃声の聞こえる方へ――湖へと向かいます。

散弾銃で湖のナマズを狙う2人の男たち。

メイは明るい声で「伯父さ~ん」と手を振り、2人の気をひきます。

2人は連絡せずに突撃訪問をかました姪を見つけ、怪訝そうな顔をします。

そして次の瞬間、うんざりした顔で、こう言うのです。

 

 「親戚だ」

 「クソったれ!」

 

 「血は水よりも濃い(血縁は絆を深くする)」とは言いますが、

ハブとガースは兄弟2人きりで生活しており、住んでいる場所・家を見ても、

「世捨て人」と呼ぶのが相応しい暮らしぶりです。

メイやウォルターに対する態度の冷徹さから見て、

親戚付き合いを面倒くさがっているのが、わかります。

他の親戚連中への対応も「塩」で、とっとといなくなってほしいがために、

ウォルターを利用する、という考えが浮かぶ始末。

 ……とは言え、本当に親戚付き合いをしたくなければ、

もっと乱暴に追い出してもいい筈。

メイに言いくるめられて、ウォルターを預かっているあたり、

何だかんだこの2人は、身内に甘いのだということが、見て取れます。

 でも、迷惑なのは本当なので、2人のウォルターに接する態度は、

祖父が孫にするような、愛情深く、親切丁寧なそれとは違って、

素っ気ないものです。

まるで、歳の離れた弟を持ったお兄ちゃんみたい。

まァ、白髪の生えたお兄ちゃんたちですけどね。

 

 本作の原題を訳すと、「中古のライオンたち」となります。

 ここ、「ライオン『たち』」というのがポイントです。

「たち」――複数形です。

 作中に登場する、本物のライオンは1匹だけです。

では、他のライオンは? どこにいるのか?

 答えは、2人の大伯父です。

 寄る年波に勝てず、老いを自覚し、人生に見切りをつけ始めている

2人の男の前に現れた、ひ弱な主人公。

若さ溢れる14歳の少年との出会いが、

静かに朽ちていくだけだった、2人の男の人生を変えていきます。

 この物語の主人公は、大伯父たちから「男とは何たるか」の

レッスンを受けるウォルター少年であり、

少年との約束で「人生を生きる力を得た」ハブとガースの2人でもあるのです。

 

 誰かの人生が変わる時、関わった相手の人生もまた、変化している。

 人生って、何て不可思議なんでしょう!

 

【映画のキーワード】
#青春 #ヒューマン・ドラマ #父が息子に

 

 

 

映画「ポルトガル、夏の終わり」

映画「ポルトガル、夏の終わり」

 

映画"Frankie"

2019

アイラ・サックス 監督

 

 イングランド出身の詩人、バイロンが「エデンの園」と称し、

その美しさを称えた町、シントラ。

ポルトガルの首都、リスボンから、列車で1時間とかからない距離に位置する

この町は、1995年に世界遺産に登録されました。

古くから夏の避暑地として愛されてきた、風光明媚な街には、

宮殿や城壁が残されており、それらを含めた町全体の

文化的価値を認めての登録でした。

 九州のキリシタン大名らの名代として、ローマへ派遣された日本人の使節団が、

かつてこの地を訪れた記録が残っています。

ポルトガルは今も昔も、ローマ・カトリックが優勢の国です。

 

 美しい避暑地で、人生最後になるだろう夏を過ごす女優が、

本作の主人公です。

彼女の名は、フランキー。

欧州を代表する大女優で、全身に転移したガンのために、余命は長くありません。

 彼女は家族と友人をシントラに招き、最後のバケーションを楽しみます。

観光地に集められた彼らは、それぞれ思い思いに時を過ごしますが、

フランキーの希望通り、夕刻に山頂で一堂に会します。

ペニーニャの山からは、夕日が海に沈む景色が臨めます。

 物語のラストで登場人物が勢揃いするのは、群像劇の醍醐味です。

しかしこの映画のラストシーンの美しさは、えも言われぬ程です。

非常に絵画的なワンショットで、構成と配色・配置の美を感じました。

久しぶりに映画で「美しいものを観た」という感想を抱きました。

 

 知らない街の風景を、スクリーンを通して知ることができるのが、

映画の楽しみの一つでもあります。

コザクラにとって、ポルトガルは縁遠い国。

この映画を通して、「こんなに素敵で絵になる風景の町が

ポルトガルにあるんだな」と知ることができ、

シントラとポルトガルへの興味がわきました。

 遠くへ行きたい、旅行したい……でもできない……そんな時は、

映画を観て心を慰めるのも、アリです。 

 

 

映画「ロスト・シティZ 失われた黄金都市」

No! I call it "Z".

映画「ロスト・シティZ 失われた黄金都市」

 

”フォーセットは、ブラジルのアマゾンには高度な文明をもつ古代民族が

 生存しており、その文明はきわめて古いうえに洗練され、

 南北アメリカ対するヨーロッパ人の見方を一変させるだろうと確信していた。

 彼はその失われた世界を都市Zと名づけている。”

書籍「ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え」

デイヴィッド・グラン 著

近藤隆文 訳

 

映画"The Lost City of Z"

2017

ジェームズ・グレイ 監督

 

 1925年、イギリスからやって来た探検隊が、ブラジルのジャングルに消えた。

隊の構成は小さく、男、その息子、息子の親友、の3人だけだった。

隊を率いた男がブラジルに足を踏み入れるのは、これがはじめてではなく、

これまでの遠征で存在を確信していた古代都市を発見・調査するために、

満を持して臨んだ遠征だった。

 しかし、これが彼の、そして彼らの最後の遠征となる。

彼らからの連絡は途絶え、その身に何が起こったのかを知る術はない。

彼らの消息を確かめようとジャングルへ赴いた捜索隊の多くが、

過酷な環境で厳しい試練を突きつけられ、

ついに彼らを発見することなく、帰国の途につくことになった――

 

 ――100年の歳月が流れ、探検家の名は「変わり者」の代名詞となり、

彼が提唱した古代都市の存在は、闇へと葬られました。

 

「変人が夢見ていたのさ。

 ジャングルで文明が花開く筈がない。

 高度な文明の発生には、条件がある。

 食糧の安定的確保。人口の増加。支配層の権力増大。学問のための余暇。

 密林の過酷な自然環境は、人間を極めて原始的なレベルに押し留める。

 ここでは、生きていくことがやっとだ。

 文化で飯が食えるか?

 音楽や建築や工芸に精を出している暇なんてない。

 生きていくだけで、現地の人々は精一杯だ。

 南米のジャングルの奥地に、黄金に輝く巨大都市など、夢物語さ」

 

 しかし、引用書籍の最終章で著者は、

上記の「定説」を否定する物的証拠を目撃したと記しています。

物的証拠――古代の集落の跡地。

 防御用の地面の窪み。割れた土器の山。道路。橋。広場――

それらは無機物(岩石)ではなく、有機物(植物や土)でつくられ、

それゆえに年月を経て、微生物に分解され、姿を消し去っていたのです。

 書籍の中で、十数年に渡って、

ジャングルの中の集落跡地を調査をしている研究者は、

こうも語っています。

 

「彼らの記念建造物はピラミッドではなく、だから、

 なかなか見つからなかったんだ。

 彼らの建造物には水平型という特徴がある。

 でも、だからといって、その非凡さが損なわれるわけではない」

 

 もしかしたら100年後の未来では、

ジャングルの中の古代都市や文明の存在が、

世に広く知られているかもしれません。

200年後には、遺跡が修復・復元されて、世界遺産に登録。

観光地化している、なんて未来もあり得るのです。

 その時、名称はどうなるのでしょうか。

現地の人々の口頭伝承からも失われ、地続きの歴史ではなく、

突如出現したかのような古代都市の再発見。

かつて、探検家:フォーセットが存在を確信し、

証拠を得ようとジャングルに足を踏み入れたまま、

ついに帰ってこず、正史からは姿を消した、古代都市の姿。

 その時、どのような名称をつけられるにせよ、

人々がその名前の裏に、フォーセットが名づけた「古代都市Z(ゼット)」の

名前を思い浮かべるのは、必然ではないでしょうか。

 

 21世紀の現在も謎多き、南米の密林に思いを馳せて、

20世紀の探検家の物語を、ぜひ、映画でも書籍でも、お楽しみくださいませ。

 

【映画のキーワード】
#歴史 #冒険 #インディ・ジョーンズ

 

 

 

ディズニー・アニメ映画「ライオン・キング」

And so we are all connected in the great circle of life.

ディズニー・アニメ映画「ライオン・キング

 

”子役の二人が「早く王様になりたい」の歌を舞台前で歌っている間、

 黒い下げ幕の前では、舞台係が音楽に合わせて、

 象の墓場の巨大な骨を組み立てる。

  (中略)

 観客席側から見れば、舞台では申し分のない空想の世界が繰り広げられている。

 だが、舞台裏ではその空想を空想たらしめる現実があり、その現実は生々しく、

 次の瞬間何が起こるかわからないという、本質的にライブの舞台なのである。”

書籍「ライオンキング ブロードウェイへの道」

ジュリー・テイモア 著

藤田みどり 訳

 

映画"The Lion King"

1994

ロジャー・アレーズ/ロブ・ミンコフ 監督

 

 映画公開から3年後の1997年7月に、アメリカで初演された、

ミュージカル「ライオン・キング」は、大成功を収めました。

このミュージカルは、ブロードウェイ史上、5番目のロングラン公演を果たし、

演劇史に名を残し、現在でも新たな世代にファンを増やしています。

 日本では、1998年から東京の劇団四季が上演しています。

地方公演も多いので、地元のホールで観劇された方も多いのでは?

コザクラも以前、鑑賞したことがあり、

映画との違いを比較しながらも、

映画とはまた違ったワクワクを楽しむことができました。

特に、ヌーの暴走の表現方法には、舞台ならではだ、と驚きました。

 今回引用した書籍は、ミュージカル版「ライオン・キング」の

演出・デザインに携わったジュリー・テイモアが、

公演初夜に向けて、舞台を制作してきた流れについてまとめた本です。

 原作(今回は映画)があるとはいえ、スクリーンと舞台は全くの別物。

すでに映像で表されたものを、単純に役者や背景で置き換えればいい、という

ものではありません。

映画を読み解きながら、ストーリーを構造として捉え、

物語を組み立て直し、キャラクターの性格を掘り下げ、

それを衣装や演技に反映させる作業が、必要でした。

 「お芝居にする」「舞台化する」ことに焦点を当てた本なので、

ライオン・キング」に関わらず、この手のことに興味がある人は、

ぜひ一度お手にとっていただきたいです。

 

 下世話な話をしますと、上記のミュージカルの成功も含め、

ディズニー作品の中では「かなり儲かった作品」だと推測されます。

いわゆるデイズニー・ルネサンス(※下記参照)の1作であり、

興行収入はさることながら、ビデオ販売・サントラ販売などでは

販売数世界一位を記録しています。

※ 1990年代のデイズニー作品が、軒並み高評価・好成績だったことからの呼称。

 興行収入ランキングは、集計者によって基準が異なり、

サイトによって結果がまちまちなのですが、

ピクサーも含めたディズニー作品の中では、おおよそ3~10位というところ。

ちなみに3位だった場合、2位は「アナと雪の女王」で、

1位は「アナと雪の女王2」!

 強いな! アナ雪!!

 

 さて、挿入歌の「サークル・オブ・ライフ」は、

運動会や発表会の演目でもお馴染みの曲です。

映画のテーマを伝える、メッセージ性の非常に強い曲です。

 映画ではオスだったラフィキじいさんが、

舞台だとメスに変更されているのは、この歌を歌っているのが、

ラフィキである、という設定がなされたため。

映画だと、女性の歌声をバックに、サバンナの雄大な景色が流れるのですが、

これが舞台上だと「誰が歌っているの?」という疑問が生じるため、

上記のような意味づけがなされ、ラフィキに白羽の矢が立ったわけです。

 ところで、冒頭の何言っているのかよくわからない部分は、

英語ではなくズールー語で、南アフリカ共和国公用語の一つです。

空耳でネタにされる冒頭の部分は、

「父なるライオンがやってきた」という意味だそうです。

 子どもの頃からの不思議が、ひとつ、解消されました。

 

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#ディズニー #アニマル #演劇

 

 

 

映画「リトル・ダンサー」

What's wrong with ballet? I don't see what's wrong with it.

映画「リトル・ダンサー

 

”バレエには男性の時代と女性の時代が交互に現れているようです。

 (中略)

 では現在は?といわれると珍しく男女のスターが拮抗する時代とも

 いえるでしょうし、圧倒的なスターのいない時代ともいえるでしょう。”

書籍「ビジュアル版 バレエ・ヒストリー バレエ誕生からバレエ・リュスまで」

芳賀直子 著

 

映画"Billy Elliot"

2000

ティーブン・ダルドリー 監督

 

 「マシュー・ボーン版『白鳥の湖』」をご存じでしょうか?

残念ながらコザクラは未視聴なのですが、

いつか観てみたいと思っているバレエ作品の一つです。

チャイコフスキーが作曲した「三大(さんだい)バレエ」の一つ、

白鳥の湖」を男性どうしの恋愛物語に描き直した作品で、

男性が白鳥に扮して踊ります。

 映画のラストで、成長した主人公が登場し、

上記の演目を踊るのですが、演じるのはアダム・クーパー

この方、元英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルです。

プリンシパルとは、主役を踊るトップダンサーのこと。

現在は振付・演出の分野でも活躍され、ミュージカルにも多数出演されています。

 かつて「女のやるものだ」と父親にバレエを否定された主人公:ビリーが、

生まれ故郷から遠く離れた首都ロンドンのバレエ団で

男ながらに主役の白鳥を踊る姿を映して、本作は幕を下ろします。

 

 日本のバレエ人口は約40万人と言われ、

これ、世界的に見ても結構な人数です。

しかしその98%が女性で、

もう圧倒的に、女性の習い事としてのイメージが定着してしまっています。

 もちろん、男女比がアンバランスなのは海外でも同じこと。

やっぱり女性が多く、バレエを習う男子は、

からかわれたりすることもあり、肩身が狭い思いをしているようです。

さらには、本作でほのめかされているように、

「ゲイ(同性愛者の男)がやっている」というイメージまでついてしまっています。

 男の子を「男の子らしく」育てたいと考える、主人公の父親や兄が、

バレエをやりたいと言うビリーに反発するのは、

こういう背景があるからです。

 ましてや物語の舞台は、イギリス北東の炭鉱町:ダーラム。

斜陽産業の炭鉱で生計を立てる人が中心の、

貧しい集落で暮らすビリーたちにとっては、

バレエをやっている男など見たことがなく、想像もつかない存在です。

 当然、ビリーも最初はバレエとは縁の無い生活を送っていたわけですが、

そこに転機が訪れます。

普段は別の階でレッスンしていたバレエ教室が、

ビリーの通うボクシング教室の隣のフロアでレッスンをすることになり、

ビリーは、はじめて目にするバレエに近づいていきます。

 

 ビリーのダンスは、見ていて本当に楽しいです。

思わず観ている観客の体も一緒に動いてしまう程、いきいきとした踊りです。

個人的に好きなのは、イライラが爆発したことを、踊って表現するシーン。

ディズニー映画なら、歌って踊ってミュージカルになるのでしょうが、

ビリーは表情と体とステップで、身の内から湧き上がる怒りを表します。

傍で見守る友人:マイケルが、足でリズムをとっているのですが、

観ているこちらも一緒にリズムをとってしまいます。

ストーリー上では、決してコミカルではなく、

むしろビリーからすれば深刻に悩み、怒り心頭なシーンなだけに、

悲劇が喜劇になるという逆転の笑いが、クスッと起きてしまうシーンです。

 ビリーを演じたジェイミー・ベルは、6歳からバレエをはじめました。

映画出演時は、おそらく13~14歳。

女系親族はこぞってダンサーということで、ダンサー一家だったわけですが、

ここでもダンサーは女性が中心。

いやはや、これって結構根深い問題ですね。

 

 ところで、今回引用した書籍によりますと、

バレエ発祥時点でのダンサーは、主に男性だったとされています。

太陽王」と呼ばれるフランスのルイ14世は、大のバレエ好き。

彼の通称は、バレエ作品の中で「太陽の役」を踊ったことから

とられているそうです。

この方が熱中したおかげで、バレエはフランスで庇護され、

「5つの足のポジション」など、その基礎がつくられ、今日に続くわけです。

 その後はマリー・カルゴが女性ダンサーの時代をつくり、

アンナ・パブロワがヨーロッパ以外の世界へバレエを持ち込み、

そして「伝説のダンサー」――ワツラフ・ニジンスキー――が誕生する……

……とまぁ、現在に続くわけです。

 「バレエは女性の独壇場」なんて時代は、そう長くないかもしれません。

 

 男性ダンサーの皆さん! 

 未来を見据えて、思いっきり跳んでください!

 

【映画のキーワード】
#青春 #ファミリー #同性愛者

 

 

映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」

映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」

 

映画"Pad Man"

2018

R・バールキ 監督

 

 禁忌――タブー――とは、「言ってはいけないこと、してはいけないこと。

清浄と不浄の決まり事で、両者の近接を禁止する、社会的な約束事。」です。

女性の月経(生理)は、日本も含めて世界中の様々な地域で、

「不浄」とされることが多く、それは現代社会においても、残っています。

 感覚としては馴染みがあっても、改めて考えると、不思議です。

生殖に関わる事柄が、生命に直結する大事な話題であるが故に、

秘匿され、話題にあげることが禁止されてきた、というのはわかります。

でもその一方で、初経(はじめての月経)は、

おめでたい事とされているじゃないですか。

本来、穢れ(ケガレ)として忌み嫌われる月経が、

なぜか最初だけ祝い事(ハレ)として扱われる。

 変でしょ。

こういうところが、文化のおかしいところで、表裏一体というか、

ケガレとハレが密接にくっついていることを、まざまざと感じさせます。

 

 さて、映画はタブーを扱い、一部の国・地域から上映禁止という猛反発を

食らった「パッドマン 5億人の女性を救った男」です。

以前取り上げた映画「パドマーワト」もそうだけど、

インド映画って、宗教や文化的に際どい題材も結構ぶっ込んでくるよね。

目に見えるタブーが多いからこそ、

何を選んでもアウトラインに引っかかってしまうのか。

あるいは、ラインだらけの現代インド社会に、風穴を開けてやろうというのか。

 そういう意味では、この映画は後者に当たります。

脚色されているとはいえ、実在する「生理用ナプキンをインドに広めた

ぶっ飛んだ男:アルナーチャラム・ムルガナンダム」を主役に据えた本作は、

不衛生な環境に置かれた貧しい女性の生活向上のために

一人の男がもがき、苦しみ、何度も失敗を重ねる様を描いています。

所々に、「それはさすがにヤバイだろ」と思うシーンがあるのですが、

どこまでが脚色かわからず、ちょっと困惑しました。

 やっていることはアウトラインぎりぎり……いや、ちょっと超えているけど、

どんな分野や業界でも「ファースト・マン」ってのは、格好いいもんです。

 よっ! インドのリアルスーパーヒーロー!!