映画と本の感想ブログ「映画の本だな」

いつかディズニー映画を英語で観るために頑張るブログ。

映画「アクアマン」

Like the sea She keeps kissing the shoreline No matter how many times he pushes her away

映画「アクアマン」

 

”今や、アトランティスとはこうしたイマジネーションの持ち主にとって、

 格好のジャンプ台になっているのである。”

書籍「Truth In Fantasy 71 超古代文明

朱鷺田祐介 著

 

映画"Aquaman"

2018

ジェームズ・ワン 監督

 

 判官贔屓と言われるかもですが、悪役がかわいそうな映画ですよ、コレ。

スーパーヒーロー、アクアマン:アーサーも

英雄らしい不幸な生い立ちですけど、

敵役でもある父親違いの弟:オームは、もっと辛い境遇だと思います。

 父親と自分、二代続けて婚約者に逃げられるとか、

トラウマの上にトラウマ背負っちゃってるじゃないですか。

オームの父親は、結婚前に逃げて、余所の男と子どもをつくった妻を許さず、

彼女を化け物の生け贄に捧げてしまいます。

オームは、母の死の原因がアーサーにあると思って、兄を憎んでいました。

 コザクラだったら、そりゃあアーサーが嫌いになりますよ。

 ラストでアーサーとヒロイン:メラが、自然といい雰囲気になっていますが、

この2人、オームに何も断っていませんからね??

「お前の女は俺のものだ」とか「あなたとは結婚できないわ」とか

言ってませんからね??

 それとも何? 

アトランティスでは腕っ節が全てで、

力で勝る者が、名誉も地位も女も手に入れられるということなの?

そんな世界、「北斗の拳」か「マッドマックス」くらいにしといてほしい。

 トラウマこじらせて面倒なことになる前に、

はっきり失恋を突きつけてあげてほしい――

そんなもどかしい気持ちになる映画でした……。

 

 さて、本作はDCエクステンデッド・ユニバースの6作品目。

アメコミ原作のスーパーヒーロー映画で、水陸両棲の海底人:アクアマンを

主人公にした水中アクション映画です。

アーサーは、海底の王国:アトランティスの王であり、

そこは海中に適した体に進化した海底人たちの王国です。

 アトランティス伝説を下敷きに、そこからスケールを広げて

アトランティス人は水中で生き残っていた」という筋書きにしています。

弟のオームや母のアトランナは、見かけは人間と大きく変わりませんが、

種族によっては怪物やエイリアンのような容貌に変化しています。

 人間が水中適応するなんて荒唐無稽にも程がある、と思うかもしれません。

ただ、アトランティス伝説は今や、語り手、プラトンの手を離れて、

イメージだけが独立して歴史ファンタジーとして成長しています。

神の子孫だったり、宇宙人だったりする説もあるので、

「まあ、アリかな」とコザクラ的にはOKの範囲内です。

 でも、本音を言えば、呼吸はどうしているのか疑問です。

鰓は生えていないようでした。

それに、水中で常時口を開けているわけでもなかったです。

いや、でも、手塚治虫の「海のトリトン」のトリトン

鰓は生えてなかったよな……。

ファンタジーの住人の中でも、謎が深い存在です、海底人。

 

 アトランティスの沈んだ場所はここだ!、との新説が

毎年のように、ネットのニュースにあがる時代です。

アトランティスに関する書物は、山のようにあります。

先にも述べたように、アトランテイスはすでに単なる国や領土を表わすのみならず

失われた技術や王国、特に海底に沈んだ古代遺跡の大まかなイメージとして

定着し、それらの総称として使用されているところがあります。

今後も、世界各地で調査が進み、海底で遺跡が発掘される程に、

「すわアトランティスの在処か?」と騒がれることでしょう。

 アトランティスについて、ざっくり知りたい、

ただし、あまりオカルトに傾き過ぎず、かと言って学術論文みたいに

小難しいものは嫌だ――そんな気分の時には、

今回の引用本をおすすめします。

著者はゲーム開発に携わり、古代文明の謎をテーマにしたRPGをデザインした

経緯から、超古代文明のロマンを伝えるべく、筆をとられています。

正に、ゲームや映画などからアトランティスに興味を持った人にとっては、

読みやすく、親しみやすい一冊です。

 

【映画のキーワード】

#アクション #ファンタジー #真・女神転生

 

 

 

映画「バーフバリ」

映画「バーフバリ」

映画"Baahubali: The Beginning"

2015

S・S・ラージャマウリ 監督

 

映画"Baahubali 2: The Conclusion"

2017

S・S・ラージャマウリ 監督

 

 昔、インドの叙事詩の演劇を鑑賞したことがあります。

それまで縁遠かったインドの叙事詩や神話の世界に興味を持ったきっかけとなり、

インド神話関連の書籍を読み漁っていた時期もありました。

 そして2017年に日本で公開された映画「バーフバリ 伝説誕生」と

「バーフバリ2 王の凱旋」は、インド神話に対するイメージを

見事に映像化したものでした。

それだけではなく、インド映画に期待する、歌と踊りとアクションの

すべてをも含んでおり、エンターテイメント作品としても仕上がっています。

 

 とはいえ、インド神話の知識がなければ楽しめない作品ではありません。

先にも述べた通り、ボリウッド発のエンタメ作品として

難しいことなしで、「すげえ!」「かっこいい!」と楽しむことができます。

ボリウッドとは、インドの映画産業の俗称。)

 もちろん、作中ではっきりと名指しされる神様「シヴァ神」が

どんな神様なのかを知っていると、作品の理解は早いと思いますが、

映画を観る限りでは「なんとなく正体がわかる」ように描写されています。

 映画の主人公が筋骨隆々の武人で、笑顔がチャーミングで誰からも愛され、

好きな女にぞっこんなのは、単にシヴァ神の化身として描かれているからです。

最後の戦いのシーンの最中、雷雲の中に神の姿が見えます。

おそらくこれはシヴァ神の姿でしょう。

もしかしたらインドラ神かもしれませんが、物語の流れを追えば

シヴァ神の方が適切です。

 

 インド叙事詩インド神話の世界では、神は度々人の姿で現れます。

映画のように救いをもたらすこともあれば、単に茶化していくだけの

トリックスター的な立場のこともあります。

場合によっては、主人公の試練として立ちはだかることも。

 コザクラとしては、その距離感が日本神話に通ずるところがあり、

何と言うか……好ましく思えて、親近感がわいてしまうのです。

 

 

バーフバリ2 王の凱旋 [DVD]

バーフバリ2 王の凱旋 [DVD]

  • プラバース,アヌシュカ・シェッティ,ラーナー・ダッグバーティ,サティヤラージ,ラムヤ・クリシュナ,ナーサル,タマンナー
Amazon

 

映画「BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」

At one point, someone...someone called me the Big Friendly Giant.

映画「BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」

 

”わしは変わり者のオ・ヤサシ巨人だよ。

 この巨人国広しといえども、ニンゲンマメを食ったことがないのは、

 このわし――オ・ヤサシ巨人、ただ一人だろうよ。

書籍「オ・ヤサシ巨人BFG」

ロアルド・ダール 著

中村妙子 訳

 

映画"The BFG"

2016

スティーヴン・スピルバーグ 監督

 

 人食いのモンスターが登場する子ども向けファンタジーと言うと、

トミー・ウンゲラーの絵本「ゼラルダと人喰い鬼」など

怖くて不思議でブラック・ユーモアに溢れた作品が思い浮かびます。

 今回取り上げる映画及び原作本に登場する人食いモンスターは、

鬼ではなく、巨人。

それも、「大きいお友達の巨人さん」なのです。

 

 原作は、発想・言葉遣い・オチの付け方、どれをとっても奇才天才の仕事ぶり。

実は皆のトラウマメーカーとして、子どもの心に深く長い傷を残すことで

有名(?)なロアルド・ダールの1作です。

 ロアルド・ダールノルウェーの両親のもと、イギリスで生まれ育ちました。

イギリス空軍の戦闘機パイロットとして第二次世界大戦で従軍し、

撃墜され、エジプトの砂漠に不時着。

長く生死の境をさ迷いましたが、なんとか生還しました。

戦後、この時の経験をもとにした作品で作家デビューします。

 人生、どこでどんなきっかけを拾うか、わかったもんじゃありませんねぇ。

 そういえば、作家のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

飛行記録に挑戦中にサハラ砂漠に不時着し、その経験から名作を生み出しています。

そう、かの有名な「星の王子さま」です。

 

 さて、舞台はロンドン。 それも孤児院。

ディケンズの影響か、ロンドンの孤児院ほど

惨めで残酷な場所は無いように思えます。

しかし同時に、一定数の反骨精神溢れる子どもたちを、

創作世界上で世に送り出してきたことも事実です。

 そんなわけで、本作の主人公:ソフィーも

ロンドンの孤児院に相応しい性質を兼ね備えております。

巨人に捕まった彼女は、会話を繋いでなんとか生き延びようと

頭を回転させます。

恐怖で震えて言葉をなくすのではなく、とにかく喋って、

その間に知恵を働かせるのです。

 うーん。

ロアルド・ダール作品の主人公陣の一筋縄ではいかないこの感じ、

個人的には凄く魅力的です。

優等生でもなければいい子ちゃんでもない。

他人の失敗を笑い、いじめっ子をいじめ返すこのタフネスさに、

実にイギリス的なウィット(即座に働く知恵、とんち)を感じます。

 原文を読んだことはないのですが、原文ではさぞ様々な韻を踏み、

言葉を駆使して言語で遊びまくっていることだろう、と推察しています。

日本語訳がこれほど――過剰過ぎて、本筋が一瞬飛んでしまうほどに――

言葉遣いに神経をつかっていることから、翻訳家の皆さんの苦労が偲ばれます。

 

 ……ただ、非常に残念なことですが、

言葉遊びは本の上でこそ楽しいものです。

映像化する時は、実際の文章を見るのではなく、台詞の中で聞くことになります。

 相性……悪いんですよねぇ……。

 映画は映画として楽しむとして、やっぱり本で楽しむ以上の楽しみ方は

ないよな、とこの作品で改めて思いました。

 しかし、映像化されて「素敵!」と思ったシーンがあります。

それは、優しい巨人:BFGとソフィーが、夢の国へ向かうシーン。

大きな池に飛び込むと、水面に映った風景の中に、BFGの姿が映ります。

勇気をだしてソフィーも続きます。

池に飛び込むと、重力に逆らって体がぐるり!

目を開けると、先程までと同じ風景の中に立っていました。

いえ、正しく言うと違います。

ここは夢の国。

その証拠に、辺りには様々な色をきらめかせながら宙を飛ぶ、

「夢」が実体化しているではありませんか!

 この映像美は、映画ならでは。

スピルバーグ監督の手腕を拝見できます。

 

【映画のキーワード】

#ファンタジー #ファミリー #女王陛下

 

 

 

映画「ミセス・ダウト」

Just because they don't love each other anymore, doesn't mean that they don't love you.

映画「ミセス・ダウト

 

”ほんや リュックサックを わすれちゃうのは、ココのしっぱい。

 でも、パパと ママが りこんするのは ココのせいじゃないって、

 ココには ちゃんと わかっています。”

書籍「ココ、きみのせいじゃない」

ヴィッキー・ランスキー 著

中川雅子 訳

 

映画"Mrs. Doubtfire"

1993

クリス・コロンバス 監督

 

 TSUTAYA店内の商品棚には、店員のおすすめ映画が、

イラスト付きのポップで紹介されている文化圏で育ったんですが、

これって全国的な流行だったのでしょうか?

TSUTAYAフランチャイズだから、もしかしたらうちの近所だけだったのかも……。

そんな店内ポップにおすすめされてレンタルしたのが、この1枚。

残念ながら、ポップの内容はほとんど覚えてないんですけど

「人生を変えるほどの『驚き』があった」と書かれていた気がします。

 確かにこの映画は、観た人の人生を変える力を持っています。

稀代のコメデイアン:ロビン・ウィリアムズが主演する映画、

ミセス・ダウト」。

 

 主人公のダニエルは、多彩な声質と演技で、一人何役でもこなせる天才的俳優。

しかし仕事はクビになり、妻とは離婚し、大好きな子どもたちとは

週一回の限られた時間しか会えなくなってしまう。

「このまま子どもたちと離ればなれになるなんて嫌だ!」と

メイクの達人である兄の手を借りて、「おばあさん」に変身して

家政婦として元妻の家へ潜り込むことに挑戦します。

 ――ヤバいでしょう?

コメディ映画とはいえ、「ここまでやる?」という展開なんですけど、

主役のロビンの演技がうますぎて、

「おばあさん」が本っ当に「おばあさん」に見えます。

 元妻:ミランダは、全然正体に気がつかなくて、

女同士の気安さと年配故の安心感から、自分の離婚や新しい恋愛について

赤裸々に語ってしまう始末。

もしコザクラが彼女の立場なら、後から思い出して「うぐわあああ!!」と

悶絶すること間違い無しです。

 しかし、それが彼女の本音をダニエルが知ることになる

機会となったのも事実です。

結婚も離婚も、それぞれの事情があるものです。

少なくとも、ミランダが

「ダニエルを嫌いで嫌いで我慢できなくて離婚を突きつけた」のではなく、

「悩んだ末に離婚を選んだ」ことがわかったのは、

ダニエルにとって、今後の彼らの関係を築いていく時にプラスに働くでしょう。

 

 そう、家庭はこれからも続いていくのです。

なぜならダニエルとミランダには、3人のかわいい子どもたちがいるのですから!

 

 今回ご紹介する書籍は、副題が

「はなれてくらすことになる ママとパパと子どものための絵本」となっています。

どちらかというと親目線の、親のための絵本だと思いますが、

一人で本を読める年齢の子どもなら、

子どもだけでも読める絵本になっています。

 とはいえ、解説がページ毎に書かれており、

「親御さんが心がけること」が書かれているので、

子どもがここを読んだら、余計に心配してしまうような気がします。

漢字交じりだから読めないだろうと思っていても、

ひらがなだけでも繋げて読もうとするものですし、

大きな子どもほど両親の心中を慮って、混乱してしまうんじゃないか、と

個人的には不安になってしまいました。

考えすぎでしょうか……?

 おそらく、一番いいのは、まずは両親がそれぞれ読んでおき、

最後に子どもと一緒に読んで、その後で本を脇において、

自分たちの家庭の話をすることでしょう。

 でも、実際に離婚となれば、

それほど落ち着いて子どもに目を向けることは、大変難しいでしょう。

前書きでも、その難しさについて触れられています。

 しかしそれでも「あなたがその気になればできるのです。」と

強気で言い切り、親としての努力を読者に求めています。

一番大事なのは子ども。

その大事な子どもに安心感を与えるために、あなたは細心の注意を払って

子どもの新生活を祝福しなくてはならない。

 ……厳しい話です。

かわいらしいクマの挿絵とは裏腹に、内容はスパルタ(親のみ)です。

 

 離婚する人にも、離婚した人にも、離婚した家庭で育った人にも、

離婚とは無縁の人にも観て欲しい――そういう映画です。

 あと、腹がよじれるまで笑いたい人にも、ぜひ観ていただきたいです。

 

【映画のキーワード】

#コメディ #ファミリー #女装

 

 

 

ディズニー・アニメ映画「ズートピア」

 

Try to make the world a better place.

ディズニー・アニメ映画「ズートピア

 

書籍「コミック版 ディズニーの英語  ズートピア

ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 著

 

映画"Zootopia"

2016

リッチ・ムーア/バイロン・ハワード/ジャレド・ブッシュ 監督

 

 まずは、関連書籍の紹介からいきましょう。

今回は引用しなかったんですけど、いつものようにご紹介したい本があります。

それがこちら、「コミック版 ディズニーの英語  ズートピア」です!

 この漫画、英語の勉強にもってこいなので、

他のディズニー作品もシリーズ化されないかな~、と待っていました。

……が、2022年8月現在、同様の書籍は発行されておりません。

残念至極。

英語に限らず、漫画って頭に入りやすくて学習教材に最適なんですけど、

やっぱり欲を言えば面白い漫画がいいんですよね。

 さらにこの本では、日本語訳が枠外に小さく掲載されていて、

英語が完全にわからなくても読めてしまうので、

映画未視聴の方でも問題なく読めます。

でもやっぱり、先に映画を観て、ストーリーを頭に入れておいた方が

漫画もスラスラ読めて気持ちいいと思います。

 Amazonサイトから検索すると、中のページがチラ見せされていますので

購入前のご確認は、ぜひ下記からどうぞ~。

 

 物語の舞台は、タイトルにもある「ズートピア」――多種多様な動物たちが

知性と理性をもち、協力して暮らす大都会です。

多種多様とは、食性の枠を超えて、肉食動物と草食動物が

手に手を取り合って暮らしていることを意味します。

おまけにサイズもバラバラで、ネズミからゾウまでが同じ空間にいます。

人間以外のおよそすべての生き物たちが、服を着て、言葉を操っています。

 そして取り扱うテーマは「人種差別」と「共生」。

作中では、肉食動物が野生を取り戻して他の動物を襲う事件をきっかけに、

ズートピアで巻き起こる、社会規模の疑心暗鬼と特定の種への不安や恐怖を、

現実世界の出来事を思わせるように、直せつ的に描いています。

 こう書くと、単純に人間を動物に置き換えた社会風刺漫画のように

思われるかもしれません。

でも映画の舞台はあくまで、人間以外の動物が共生した「もしも」の世界です。

したがって、大小様々な大きさの動物たちが一緒の空間にいるために、

体格にあったそれぞれのドアが用意されたり、

専用の店や集落がつくられています。

 必要な分断と、交流を妨げない線引きの曖昧な緩衝地帯の存在。

動物を主役に人間の存在を排除した異世界を描くにあたって、

このあたりのリアリティが作品の質を支える大きな土台となります。

コザクラが観る限り、この作品は細かな設定の積み重ねで

観る人に「ただの風刺漫画ではない。

本当にその世界が存在するように感じさせる」ことに成功していると思いました。

 

 全編を通して、ニヤリとするようなギャグがふりまかれているので、

ファミリーでも安心して楽しめる作品です。

メッセージ性は強いけれども、強烈に残虐な描写はないので

おそらく小さいお子さんでも大丈夫かと思われます。

 特に笑ったのが、ミスター・ビッグ。

まんま「ゴッド・ファーザー」のコルレオーネなんですけど、

ガリネズミでキャスティングしたところにディズニーの本気を感じます。

いいぞもっとやれ。

 もちろん主役のジュディ(ウサギ)とニック(キツネ)も

魅力的なキャラクターです。

個人的には日本語吹き替えが大当たりだったので、

この映画は日本語吹き替え・英語字幕で観るのがマイ・ベストです。

声をあてたのは、ジュディに上戸彩、ニックに森川智之と、

もう、安心感しかない。

 いやでも、「ズートピア」に限らずディズニー作品の吹き替えは、

ほぼほぼ総当たりですよね。

アニメ作品でたま~にある「声と絵面が合ってない」現象が、

全然ないですもん。

一説には、キャラクターの骨格が、各国の声優さんの選考条件に含まれてるとか。

それが本当なら、さすがディズニー。

たとえ本当じゃなくても、各国の比較動画を聞く限り、

声質は統一されていますから、結果オーライ、ディズニー。

 

【映画のキーワード】

#ディズニー #新生活 #続編待ってます!

 

 

 

映画「真夏の夜の夢」

f:id:sky_ship:20220414015703j:plain

映画「真夏の夜の夢

 

”われら役者は影法師、

 皆様がたのお目がもし

 お気に召さずばただ夢を

 見たと思ってお許しを。”

書籍「シェイクスピア全集 夏の夜の夢」

ウィリアム・シェイクスピア 著

小田島雄志 訳

 

映画"A Midsummer Night's Dream"

1935

マックス・ラインハルト/ウィリアム・ディターレ 監督

 

 ラテンを思わせる情熱的なリズムに、恋の歌詞が熱い90年代の夏の歌……

もしかして、ユーミンだと思いました?

松任谷由実の往年のヒット曲が、同名の「真夏の夜の夢」なのです。

 が、今回はこちら、シェイクスピアの戯曲の中でも、

よく知られた1作を映画化した作品を、ご紹介させていただきます。

有名どころで、現代でも盛んに演劇の脚本に用いられます。

かくいうコザクラも、学生時代に学校行事で鑑賞した舞台で知った口です。

 

 映画化は何度か行われており、それに加えてオペラやバレエなど

舞台の映像作品化もなされており、意外とディスクに出会う機会は多いようです。

ただ、そのどれもが注目を集めるほどヒットしたとは言い難く、

探してもなかなか見つからないかもしれません。

この記事で1935年版の白黒映画を取り上げたのは、

Amazonで動画配信されており、気軽に見られるかな、という下心のためです。

 ただ、観る前にこんなこと言うのは心苦しいのですが、

ちょっと間延びした映画だと感じるかもしれません。

途中で気付いたのですが、1935年版の映画は、

そういう時代だったのかもしれませんが、スクリーンで観る前提の映画ではなく、

舞台をそのまま映像にした作品に近いんです。

間の取り方が映画用ではなく舞台用なので、

何だか話が進まなくて、のんびりしているように感じてしまうのです。

 もし、観ていて「これ違うな」と感じたら、

ぜひ他の映像作品を試してみてください。

もしくは演劇を観に行ってみてください。

堅苦しい言い方をするなら、「真夏の夜の夢」は教養作品です。

観ておいて損をすることは絶対ありませんし、

数千円のチケットの価値は絶対にあります。

 

 今回引用した書籍は、戯曲初心者の方にはハードルが高いかもしれないので

もう1冊ご紹介しておきます。

コザクラも最初読んだ時、普段読んでいる小説と勝手が違って「???」でした。

下記にリンクを貼った書籍「夏の夜の夢 (シェイクスピア名作劇場3)」は

斉藤洋・著で、子ども向けに書かれているために、大変わかりやすくなっています。

舞台も映画も知らなければ、こちらの本を開いてストーリーを頭に入れてから、

書籍「シェイクスピア全集 夏の夜の夢」を読んだ方が、

スムーズに読めると思います。

 とはいえ、引用書籍のシリーズは、巻末に解説がついているので

そこだけ読んでみるのもおすすめです。

オベロンをはじめとする妖精の出典の紹介もあり、

作品についてより幅広く、深い知識を得られます。

 

 ところで、この戯曲作品の創作年代は明確でないものの、

三十歳前半のシェイクスピアによって書かれたと推測されています。

 制作背景も不明ですが、作品の短さや結婚がテーマであることから

結婚祝いの催しとして演じられた作品ではないかと考えられています。

何よりこれは、喜劇です。

お祝いの席に相応しい劇だったろう、と思われます。

 その中で、人間たちの恋模様を面白おかしくするのが、妖精たちです。

超自然的かつ人間に親しみを持ち、かついたずら好きな妖精が

舞台を引っかき回すことで、ままならぬ運命を実に喜劇的にとらえています。

人間の心を変えることさえできる妖精たちは、

人間に対して絶対的な力を持っています。

しかし彼らは皆、悪意のない、愛されるべき隣人として描かれています。

 そしてラストでは、その妖精が引用した台詞を口にして幕を引きます。

真夏の夜――夏至の晩――に見た夢から目を覚まし、

観客は劇場を出て、現実世界へ戻っていく感じのする、印象的な台詞でした。

 

【映画のキーワード】

#ファンタジー #ヴァルプルギスの夜 #アテネ

 

 

 

 

映画「シャイニング」

All work and no play makes Jack a dull boy.

映画「シャイニング」

 

”「行かないったら」ダニーはそう言うと、

 血にまみれた父の手をとって、くちづけした。

 「だいじょうぶ、もうそろそろおしまいだよ」”

書籍「シャイニング」

スティーヴン・キング 著

深町眞理子 訳

 

映画"The Shining"

1980

スタンリー・キューブリック 監督

 

 別の映画作品の話なんですけど、結婚をテーマにした映画で、

登場人物が過去の夫婦仲について

「シャイニングみたいだった」と答えるシーンがあります。

シャイニングみたい……夫婦関係を表わす言葉としては、なかなかのパワーワード

 幽霊屋敷の中で孤立無援となった母親が、幼い息子の手をひいて、

悪霊に取り憑かれた夫の狂気から逃げ惑うストーリーの「シャイニング」。

ここではおそらく映画版を指していると思われますが、

父親がおかしくなって家族の殺害を試み、母親が全力で逃げる、

というのは原作でも同じです。

追う方も追われる方も理性を保ってはいられません。

惨劇を避けるために死に物狂いで逃げ惑う母の狂乱状態を思うに、

「シャイニングみたい」だった夫婦生活の内面の大嵐が想像されます。

 

 原作と映画の相違については、ウィキペディアにも詳しいところです。

もちろんそれが映画の批評欄を賑やかしている点でもあり、

賛否両論あるのは当然のことと思われます。

コザクラからすると、ここまで違うと映画は派生作品としての面が強くなり、

別物だと思えるのであまり気になりません。

しかし原作読了済みで思い入れのある人なら、

解釈の異なる映画を、無理して観ることはないでしょう。

逆もまたしかりです。

 でも、そうでない大部分の人には、おそらく両方の作品を

それぞれ楽しめる余地があると思いますので、

ぜひ一見・一読することをおすすめします。

 個人的に、原作と違って良いと思えた変更点の一つが、巨大迷路です。

庭に配された迷路の生け垣は人の背丈よりも高く、

その敷地の広大さもあって、ちょっとしたアトラクションの様相です。

これが原作には存在せず、

代わりに動物の形を模した巨大な生け垣が点在していることになっています。

原作では、生け垣にホテルの悪霊が乗り移り、一家の救出のため、

麓から登ってきた料理人:ハロランを襲う――という流れになっています。

実際の映像を見てもらうと納得してもらえると思いますが、

生け垣の動物よりも、物言わず動かない巨大迷路の方が、

見る者の恐怖心を煽ります。

より怖い演出としては、映画の巨大迷路に軍配が上がると思っています。

 

 物語の主役ともいえるホテル、そしてその敷地内に存在する巨大迷路は、

実在しない映画のセットとして造られました。

もし実在のホテルないし宮殿をロケ地にしていたら、

今頃「幽霊映画のロケ地は本当に幽霊屋敷だった!?」みたいな企画で

年末のテレビ番組が組まれていそうなものです。

 外観や内観のモデルとなった建物はあるらしく、ティンバーライン・ロッジと

マジェスティックヨセミテ・ホテルの名があげられていました。

映画を観ると、舞台となったホテル:景観荘(オーバールックホテル)が

あまりに魅力的過ぎて、幽霊さえいなけりゃ――いやちょっとくらいなら

いてもいいけど――行ってみたい、という気持ちにさせられます。

一晩過ごすのはやっぱり嫌ですけどね。

 5ヶ月間という長さと、外界断絶に近い通信環境の悪ささえなければ、

ホテルの冬季管理人という仕事は、確かに魅力的です。

孤独にさいなまれ、自分を失う恐れがあったとしても、

何者にも邪魔されず、館の主になったかのように振る舞えるなんて、

それこそ金を払ってでも体験したい人がいても、不思議ではありません。

 改めて、舞台設定の妙にうならされました。

時を超えても熱狂的に支持される理由の中に、著者のこうした

細やかなピースの配置があるのだな、と痛感した1作です。

 映画はマジで怖いので、ホラー苦手な方はそこだけご注意くださいませ。

 

【映画のキーワード】

#ホラー #スリラー #キャビン熱