映画と本の感想ブログ「映画の本だな」

いつかディズニー映画を英語で観るために頑張るブログ。

「美女と野獣」イン・コンサートへ行ってきた!

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美女と野獣」イン・コンサートへ行ってきた!

 

 2020年2月22・23日に横浜アリーナ

「Disney on CLASSIC Premium 『美女と野獣』 イン・コンサート」が

開催されました。

 
 折しも新型コロナウイルスの影響でイベントの開催見合わせが

始まっていたのですが防止策を講じた上で開催する運びとなりました。

いやぁ~、あぶなかった。

横浜には開催直前まで感染者を乗せたクルーズ船が停泊していたこともあり、

開催見合わせは避けられないか、とヒヤヒヤしていました。

実際、Twitterでは自主的に外出を控えた方がチケットの譲り先を探していました。

コザクラも迷ったことは迷ったのですが、どうしても諦めきれなかった!

 

 アラン・メンケンよ?

ひとりでディズニーできちゃう男よ??(メドレー的な意味で)

これを逃したら今生で会えるのか!?

 

 行ったら、あまりの素晴らしさに泣きました。

ボロボロ泣いてメガネは汚れるわ、鼻はでるわで、もう大変。

 しまいにはクライマックスで涙があふれまくって、喉につまりました。

そして盛大にむせた。

静かなクライマックスで。

・・・・・・ごめんよ。

 

 この手のコンサートを鑑賞するのははじめてだったのですが、

正面のスクリーンに映し出されるデイズニー・アニメーションを観ながら、

歌曲部分のみ日本人のキャストさんが舞台上で声をあてる、というものでした。

劇中のBGMも全てオーケストラによる生演奏で、

台詞は元の音声(日本語版)が使用されるので違和感がなくて良かったです。

  ベル役の上白石萌音さんのことは全く知らないまま席に着いたのですが、

オープニングの曲「朝の風景」を聴いて、ノックダウンされました。

アニメのベルとは違う印象だったのですが、それでもいい。

「タイプだわ、この人の歌声」とすぐに虜になってしまいました。

 

 アラン・メンケンさんをはじめ、開催までにご尽力くださった皆さんに

深く感謝しております。

 本当、夢のような時間だったわ~。

映画「ポーラー・エクスプレス」

At one time, most of my friends could hear the bell. But as years passed, it fell silent for all of them.

映画「ポーラー・エクスプレス


”ずいぶん昔、まだ子どものころ、クリスマス・イブの夜中に、

 ぼくは静かにベッドに横になっていた。

 シーツのこすれるこそりという音さえたてなかった。

 ゆっくりと静かに息をし、耳を済ませ、

 ある音が聞こえてくるのをじっと待っていた。

 サンタのそりの鈴の音が、ちりんちりんと鳴り響くのを。”

 書籍「急行『北極号』」

クリス・ヴァン・オールズバーグ 著

村上 春樹 訳

 

映画 " The Polar Express "

2004年

ロバート・ゼメキス 監督

 

 暖かなベッドの中で過ごすクリスマス・イヴ。

光と音の異変に気づいて窓の外を見れば、黒々とした一台の蒸気機関車の姿が。

乗客は皆、パジャマにスリッパ姿で頬を輝かせた子どもたち。

冬空に汽笛を響かせて一路、列車は北極点へ向かいます――

 

 クリスマスの絵本は多いけど、私が子ども時代にこの絵本と出会っていたら

きっとお気に入りになっていただろうな、と思わせる

オールズバーグさんの代表作「急行『北極号』」

子どもの頃には出会えなかったけど、

写実的なタッチの挿絵も胸躍るのにどこかリアルな空想世界たちも、

とても魅力的で年齢問わず大切な人に奨めたくなります。

 

 さて、問題は鈴です。

 到着した北極点はニンフたち(小っこい妖精)がサンタと一緒にクリスマスの

プレゼントを用意する工場が建ち並ぶ街でした。

列車で運ばれた子どもたちの中から1人が選ばれて、サンタから直接プレゼントを

贈られるのが、クリスマス・イヴのイベントです。

そして選ばれた主人公は、トナカイのそりに連なるたくさんの鈴の中の

1つがほしい、と願い、鈴を手に入れます。

 家に戻った主人公は鈴の音を聞いて、急行「北極号」での旅が

夢ではなかったことを知り、その証の鈴を妹にも聞かせます。

笑う子どもたち。

しかし両親に鈴の音は聞こえません。

そして時が経ち、鈴の音が聞こえていた主人公の妹も友だちも、

もう鈴の音を聞くことはありません。

大人になった主人公には、いまだに鈴の音が聞こえます。

 

 大人になっても主人公が鈴の音を聞いているなら、

鈴の音が聞こえなくなった妹たちは何が変わったのか。

おそらくクリスマスの奇跡、その象徴たるサンタの存在を信じる心を失ったから、

ということでしょう。

 映画だとこの辺りは、主人公を疑り深い性格に設定して、

急行「北極号」の旅を通じてサンタを信じる心を手に入れる、というストーリーに

仕立てているのでよりはっきりと描かれています。

もし子どもの頃の私がこの絵本を読んだら、

大人になってもサンタを信じていよう、と思ったことでしょう。

鈴の音が聞こえる大人に、自分もなりたい、と。

 

 でも大人になって思うのは、自分には鈴の音は聞こえないだろう、ということ。

それを悲しいと思わないことが、ちょっぴり寂しく感じられます。

子供のためのおとぎ話だったのだと納得していて、

当たり前に受け入れてしまえるのです。

 サンタさんが来るのを待って寝付けなかったのはいつのことだろう。

とんと思い出せません。

成長するにつれておとぎ話は私の生活からすっかり用がなくなったようで

すっかり別のイベントになってしまいました。

最早、チキンとケーキを食べる日となっています。

十五夜がろくに月も眺めずに団子を食べる日になりつつあるように。

 

 

 大人になり、あんなに楽しみに待ち望んでいたクリスマスの魔法が消えて、

そしてこの世の大多数の人は鈴を持ち合わせていません。

クリスマスの奇跡を信じることもないまま、行事として毎年巡ってくるだけ。

急行「北極号」に乗ることもなく、鈴を手に入れることもなく、

サンタを信じる心を持てないまま、私たちは日々を過ごしています。

 けれども絵本を開く時だけ思い出す、子どもの頃に信じていた

「サンタの存在する世界」

それは不思議に輝いて、悲しい思い出ではないのです。

ついに手に入らなかった鈴よりももっと、現実味のある証なのです。

私が昔、素敵な世界を信じていたことの。

 

【映画のキーワード】

#アニメ #ファンタジー #家族で見られる

 

急行「北極号」

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ディズニー・アニメ映画「美女と野獣」

If he could learn to love another and earn her love in return by the time the last petal fell then the spell would be broken.

ディズニー・アニメ映画「美女と野獣

 

映画 " Beauty and the Beast "

1991年

ゲーリー・トゥルースデイル/カーク・ワイズ 監督

 

 自分が恋に落ちた時、その理由を考えることがありますか。

 あれこれ思いついてはみるものの、どれも決定打に欠けるし、

そもそも言い表せるような気がしないから、黙っていたくなります。

だって結局のところ「好みの容姿」や「仕事ができる」とか「優しい」と

言ってしまえば、話をしている相手には伝わるだろうけど、恋に落ちた瞬間に

そんな計算しているわけではないから正しくないと感じてしまうでしょう。

 

「あの人のどこが好きなの?」

「そりゃもう全部」

 

 そう答えられたら楽だけど、心の中では「んなわけないじゃん」とも思います。

思うんだけど、言いたくない。

言ったら全部嘘になりそう。

 草津の湯でも治せないと評判なのに、理性的に自分の恋心を分析できる人は

果たしてこの世にいるのでしょうか。

 

 実写版ディズニー映画「美女と野獣」についてブログ記事を書いた時に、

著者を「ボーモン夫人」としていました。

それは誤りではないのですが、実際にはボーモン夫人は子ども向けに

書き直した人で、その元になったオリジナル版の著者は

ヴィルヌーヴ夫人」という別のフランス人女性なのです。

 ちょっとややこしくしてしまったかもしれませんが、

世間一般に「美女と野獣」として知られているバージョンは

ヴィルヌーヴ夫人版ではなく、ボーモン夫人版の話です。

 

 では、具体的にどの辺りを書き直したのか?

 オリジナル版を一目見ると理由がわかります。

ぶ厚い。

ページ数が多いんです。

 ボーモン夫人版が絵本で出回る薄さであることに比べると、

ヴィルヌーヴ夫人版は野獣が王子に戻るまでで、約半分を消費しています。

残りの半分で今までの経緯を懇切丁寧に説明してくださるのですが、これが長い。

複雑なのです。

登場人物も多く、特に妖精が1人で収まりきらないため、その辺りの裏事情を

延々と説明すると倍のページ数になってしまうのです。

 

 しかも、勝利条件――野獣が王子様に戻る条件に細かい規定がついています。

 

”私はおまえに命じよう。

 醜いのと同じくらい愚鈍なふりをするように。

 そして、もとの姿を取り戻したければ、若く美しい娘がおまえに喰われると

 知りつつ自分から会いにくるのを待つように。

 さらに(途中省略)娘は、命の危機はないと悟ったあと、

 おまえに求婚するほど深い愛情を抱かねばならない。

 世にも稀なそんな女性に出会うまで、おまえは自分自身にとっても、

 おまえを見る誰にとっても憎悪の的となるように・・・・・・””

書籍「美女と野獣〔オリジナル版〕」

ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ 著

藤原 真実 訳

 

 …これでも端折っているし、条件はさらに続きます。

 要するに、王子であることが相手の女性にばれるように直接・間接的に

行動したらアウト、ということです。

おしゃべりで頭の良さや気遣いをアピールするのも、ダメ。

自分の容姿や能力、家柄、性質をひけらかすことなく、

ひたすらに自分の善意だけで乙女の愛を勝ち取り、

結婚して一夜を過ごさないと(健全でOK)王子には戻れません。

 どこのプロポーズ大作戦か知りませんが、これは無理ゲー。

心が折れちゃうわ。

 現に王子は、全て片付いてベルに説明する段階で

「実際に僕は何度も心が折れました」と告白している始末です。

 

 さて、善意。

 これは恋心の理由となりうるのか。

 ぱっと見、微妙な感じがします。

見かけの美しさでもなく、気が合うかでもなく、

ただいい人だから、恋に落ちるのかどうか。

 ベルは結局、野獣の善意に感謝して結婚を承諾しますが、

何度も・・・それはもう何度も葛藤していますし、

同じ床につく夜になってもまだ悩んでいます。

野獣を男性として魅力的だと思わないまま結婚し、

夜が明けて自分が望む通りの王子が横にいることを見つけ、喜びます。

 冷静に考えて、善意が恋心の直接の理由にはならない、と私は思います。

 でも、善意がなければ人の縁は繋がれない、特別な間柄にはなれない、

という意味でもあるのかな、とも思うようになりました。

 人は変わりますから。

 それはもう、野獣から王子様になるくらいには、変わることがあるのでしょう。

 

【映画のキーワード】

#ディズニー #薔薇 #結婚の条件

 

 

 

ディズニー・アニメ映画「ふしぎの国のアリス」

I'm afraid I can't explain myself, sir, because I'm not myself, you know.

ディズニー・アニメ映画「不思議の国のアリス


”あ、あ、あの、あまりよくわかんないんです、いまのところ――少なくとも、

 けさ起きたときには、自分がだれだったかはわかってたんですけど、

 でもそれからあたし、何回か変わったみたいで

 (中略)

 はい、自分の言いたいことが言えないんです。

 だってあたし、自分じゃないんですもん”

書籍「不思議の国のアリス

ルイス・キャロル 著

山形 浩生 訳

 

映画 " Alice in wonderland "

1951年

クライド・ジェロニミ/ハミルトン・ラスク/ウィルフレッド・ジャクソン 監督

 

 デイズニー・アニメ映画の中で、子どもの頃の私が見られなかったのは、

「白雪姫」と「不思議の国のアリス」でした。

 本当は「ダンボ」の例のシーンも怖かったのだけれど、あれはどちらかというと

怖くても見たくて、見ている内に怖くなくなるので問題ありませんでした。

その代わり、散歩している時にふと視界の片隅に思い出してしまい、

ぎょっとすることもあったなぁ。

 そのため「不思議の国のアリス」を見るために私は、

怖いシーンを「吹っ飛ばすっ!」ことにしていたのを覚えています。

当時はVHSが主流で、怖いシーンが始まる時間を覚えて早送りしたものです。

でも失敗して「ギャア!」と叫んでテレビの前で飛び上がることもしばしば。

 そのくらい怖かったので、今回ブログを書くにあたって久々に見たら

どんなに怖いだろう、と身構えていたのですが、拍子抜けするくらい

あっという間に終わってしまいました。

大人になったのかしら。

いやね、不感症?

 

 高校生の頃、原作を読む機会があり、その時も身構えました。

「『牡蠣』の話がでてきたら、飛ばそう」と思うくらいには、まだ怖かった。

でも、原作には出てこないのです、「セイウチと大工」の話は。

幼い私を恐怖のどん底へと突き落とした、怖~いお話は。

 それが原因かはわかりませんが、大人になった今でも私は牡蠣が食べられません。

 まあ、それはおいといて、ディズニー・アニメー映画「不思議の国のアリス」は

鏡の国のアリス」も混ざっています。

したがって、片方だけ読むと「アレ? 双子は出てこないの?」となるし、

全然登場しなかったグリフォンや公爵夫人が出てきて「誰これ」となってしまう。

 

 「不思議の国のアリス」の面白さがどこにあるのか、を考えると、ズバリ、

「登場人物の行動に理由がない」という結論にたどり着きました。

もしくは、「行動理由に共感できない」でもよし。

 「誰が」「何のために」「何をした」は、文章を作る上で重要な要素です。

この作品に登場する人物たちの行動には、「何のために」が不明な場合が多い。

というか、ほぼありません。

 皆がやることなすこと、一切合切何の目的もないから、この作品はナンセンス

文学だなんて呼ばれています。

「意味のないお話」、それが「不思議の国のアリス

意味がないということは、教訓がないということ。

この話は確かにキリスト教の根付いた街で暮らすキリスト教徒の作者によって

書かれているけど、世界中の人が虜になるのは、この話に宗教・風習・道徳を

感じさせないところがあるからかもしれません。

 どの時代も美徳とされることがあり、世代を経て変わらないものもあるけど、

案外多くのものは変わっていっている。

今日の結婚式を見ればわかるように、礼儀だのマナーだの言っても、

10年単位で様式がころころ変わり、まあ目まぐるしいったら!

自分が生きた時代と切り離して創作するのは至難の業だけど、

これは成功している、と感じます。

 読んでいる時に、アリスが自分よりもうんと前の世代の人間だと感じることが

ありません。

何なら、自分も一緒に船に座って話を聞いているくらいに感じられます。

 読者を物語の世界に引きずり込むには、どれだけ時代の匂いを感じさせないか、

はそれほど重要ではなく、どれほど読者に自らの身に置き換えて空想させる余地が

あるか、が重要でしょう。

 読んだ人間は、空白になっている「何のために」を勝手気ままに埋めていく。

答え合わせをしようにも、誰にも正解はわからないから、百人いれば百通りの

アリスが生まれてしまう。

そのこと自体は当たり前だけど、アリスを通してお話を読者が創作できる、

というのは「不思議の国のアリス」ならではの醍醐味だなぁ、と思いました。

 

【映画のキーワード】

#ディズニー #ナンセンス #トラウマ

 

不思議の国のアリス

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映画「タイタニック」

"Are these all for me?" "Start from the outside and work your way in."

映画「タイタニック

 

”(1842年、プリタニア号について、チャールズ・ディケンズの言葉)

 「真黄色のゆでた羊の足とそれに続くりんごとぶどうとオレンジのどこかかび臭い

 デザートは、当時の船上料理を象徴している」彼はこう皮肉っている。

 こうした不満はタイタニック号のどの生存者たちからもあがってきてはいない。”

書籍「タイタニックの最後の晩餐」

リック・アーチボルト&ダナ・マッコリー 著

梶浦さとり 訳

 

映画 " Titanic "

1997年

ジェームズ・キャメロン 監督

 

 映画を見ると、実際に何を食べていたか映っているシーンがあまりないけど、

この本では「最後の晩餐と思われるメニューを3日かけて再現しましょう!

さあ、招待状の作り方から始めますよ!!」と気合いをいれています。

難易度高すぎます。

レシピを見る前から心が折れてしまうわ。

完成した料理の写真があったら、イメージしやすくなったろうにな、と思います。

  パラパラっと見た感じではあまり食指が動かないメニューなのだけれど、

そこはそれ、100年以上昔の西洋料理だから、なじみがないのもあるんでしょう。

  船旅の経験はないけど、やっぱり3食外国のご飯は辛いだろうな。

今ならインスタントの味噌汁とか持ち込めるけど、当時ならもなかの皮に

みそ玉をつめて行ったりしたのでしょうね。

金沢へ遊びに行った時に、そんな謂われのお土産があった覚えがあります。

 

 大西洋に沈む船体は、もう長くは保たずに数十年で消え去るとのこと。

映画「タイタニック」では沈んだ船から宝石を引き揚げるのが目的でしたが、

実際に引き揚げられた物品が現在でも取り引きされているそうです。

 作中で登場する「碧洋のハート」はフィクションですが、実際に金庫の中に

宝石が資産代わりに入っていたことはあったのでしょうか。

ブルー・ダイヤモンド「碧洋のハート」は、沈没前に婚約者が持ち出そうとしていて、

意図せずヒロイン・ローズの手元へ転がり込んできました。

ラストシーンで、おばあさんになるまで人生を謳歌したローズは

夜中に船のともに立ち、ポイ、と海にダイヤを投げ込みます。

その呆気なさや、彼女の未練の無さが伺い知れます。

そしてシーンは変わり、穏やかな表情で眠りにつくローズの姿。

ベッドサイドには彼女の人生が自由に選択された結果であることを証明するように、

様々な年代で、色々なことに挑戦し、笑顔の写真が飾られていました。

 

 「なぜ、ローズは海にダイヤを投げ込んだのか」

昔からこのシーンは、ローズの心情がいまいち読めず、首を傾げたくなります。

おそらく私の人生経験が不足しているのでしょう。

なんとなくこうだろうな、とは思うのですが、共感できない内容なのか、

確信が持てないでいます。

 検索すると同じ疑問を抱いている人が結構多くて、驚きました。

私だけじゃなかったのね、わかっていないのは。

 現段階での考察だと、ダイヤはタイタニックでの出来事を思い出させる役目を

終えたため、ローズが思い出の場所へ戻すことを決めた、となっています。

ダイヤは婚約者からローズに贈られましたが、ローズはダイヤも婚約者の

気持ちを受け入れる気がありませんでした。

ではなぜ101歳まで持ち続けていたか、を考えると、ローズの唯一の持ち物だった

ため、タイタニックの思い出のよすがとして持っていたと思われます。

身一つで救助された彼女にとって、ダイヤを身につけて恋人と過ごした時間や、

船上で別れた人々と繋がっているために必要なものでした。

ダイヤを相応しいと思った場所へ還した後、ローズは夢の中で

懐かしい人たちと出会います。

「彼らに会えた」イコール「ダイヤは不要」と思えば、「ダイヤが必要」

イコール「彼らに会えない世界で生きていた」ということではないでしょうか。

ダイヤを放るローズに悲しみや寂しさの気配はありません。

ローズは会いたい人に会える予感があって、何の未練もなかったと思います。

 

 ところでこの映画、昔はよく金曜ロードショーなどで観た記憶がありますが、

最近はとんとテレビ放映しませんね。

3時間超えの枠がとれないのかもしれません。

  映画を探す際には「ロマンス」「恋愛」でヒットします。

個人的には「パニック」や「ホラー」だと思いますけどね。

ジョーズ」の隣に並んでいるとわかりやすい、そんな映画だと思っています。

 

【映画のキーワード】

#パニック #恋愛 #セリーヌ・ディオン

 

 

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映画「ジュマンジ」

A game for those who seek to find a way to leave their world behind

映画「ジュマンジ

 

 2019年に最新作が公開されて完結した映画「スター・ウォーズ」の大事なテーマを

一言で伝えるなら、「息子が父親を超え、和解する話」かな、と思っています。

  母と娘ではなく、母と息子でもなく、父と娘でもない。

他ならぬ、父と息子。

因縁の関係。

  宇宙空間を舞台にした大戦争のイメージが先行しますが、

ひとりの人間が男に成長し、父親と向き合う姿の方が強く残っています。

 きっと、これって一種の通過儀礼なんでしょうね。

人間が成長する過程で必ず現れる、「常に頭を上から押さえつけられている

みたいに感じる相手」との葛藤、そして折り合いの付け方。

肉体的な性別や個人の境遇に関わらず「息子役」として、

そういう「父親役」の役割のひとと向き合わなければならない時間が、

どんなひとの人生にも存在しているのだと感じています。

 

 さて、今回取り上げた映画は銀河系ではなく、アメリカの静かな町が舞台です。

 「ジュマンジ」と呼ばれるボードゲームを、注意書きを読まずに(!!)

始めてしまったから、さあ大変!

ゴールするまで終われないこのゲームは、恐ろしい魔法で家をジャングルに変え、

町中にはアフリカの動物があふれかえり、大パニックになってしまいます。

4人の内の誰かがゴールして「ジュマンジ!」と叫ぶまで、

襲いかかる災難をよけて、とにかくサイコロを振れ!!

 

 1995年の映画ゆえに、CGや特撮はちょっと気になるかもだけど、

子ども時代にリアルで観ていた世代としては、息もつかせぬスリリングな展開に

結末がわかっていてもハラハラさせられっぱなしです。

  それに、この映画、ちょっと怖いのよね。

本筋を変えずに演出を変えたら、そのままホラー映画になりそう。

 

 しかしこの映画に原作となる絵本があることは、

本当につい最近まで知りませんでした。

正確に答えると2019年のテレビ放送で、作者の特集番組に偶然チャンネルが

合わさっていたため、絵本の存在を知ることができたのでした。

  絵本の主人公は、姉のジュディと弟のピーターの2人。

映画では26年後の世界でゲームを再開させた2人ですが、

絵本では2人だけでゴールを目指します。

ラストのオチは「ゲームをする前に注意書きをよく読みましょうね」というもの。

まあ、この2人は読んだ上で鼻で笑っていましたけど。

  結構軽いノリでゲームをしているので、それほどホラー感はありません。

お子様にも安心しておすすめできる一冊です。

 

書籍「ジュマンジ

クリス・ヴァン・オールズバーグ 著

辺見 まさなお 訳

 

映画 " Jumanji "

1995年

ジョー・ジョンストン 監督

 

 なお絵本では、父親との確執については取り上げられていません。

映画化に際して、脚色されたテーマなのでしょう。

  映画を見直すと、子どもの頃は気が付かなかったけど、

ゴール手前でハンターに見つかった主人公が、逃げずに立ち向かったことを、

ハンターは称えているんですよね。

これでもかってくらい執拗に主人公を追いかけ回し続けたハンターが、

とうとう主人公を追い詰め、息の根を止める寸前の会話で、こう言うんです。

 

 「偉いぞ。

  やっと男になったか」

 

 映画の冒頭で主人公は学友にいじめられ、父親からは恐怖から逃げるな、

と厳しく叱咤されています。

散々いじめられて唇からは血を流し、夕食の席で父親と言い争いになり、

家出しようとしていた男の子。

その男の子がゲームを通して成長し、死の間際でも敵から逃亡しなかった。

肉体だけでなく、精神的に「男」になったのです。

 

 ところで私、主人公の父親と、主人公の宿敵であるハンターの2役を

同じ役者さんが演じていることに、今日まで気が付きませんでした。

キャストを見たら、あら同じ。

 そういえば他の映画でも、同じように父親と敵役が

ダブル・キャスティングされていたことがあったのを思い出しました。

なかなか気が付かないものです。

 

【映画のキーワード】

ボードゲーム #冒険 #父と息子

 

ジュマンジ

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映画「美女と野獣」

Now I know she'll never leave me. Even as she fades from view. She will still inspire me. Be a part of everything I do.

映画「美女と野獣

 

 星占いの話で、こう聞いたことがあります。

土星ってつまり、『美女と野獣』の野獣なの。

 初対面の印象は最悪で、できれば関わりたくない相手。

 けれどもその嫌悪感や苦手意識を乗り越えて、

 自分のものにすることができると野獣から王子様に変わる。

 私が必要としていた、本当に望んでいた相手だってわかるの。」

 

 それを聞いて思ったのが、「野獣の反対語は王子様なのか」ということ。

野獣とはつまり、ケダモノなわけで、

王子様といえば、つまるところ女の子の理想の恋人像なのです。

 

白馬に乗った王子様。

 

 しかも「美女と野獣」の原作に登場する王子様は、

それはもう見目麗しく立派な殿方とのこと。

さらにディズニー映画とは異なり、仙女に意地悪されて野獣になっただけで、

本人には落ち度がないという悲劇のヒーローでもあります。

加えてハンデのつもりなのか、美しい姿を奪われてみにくい獣に変わるだけでなく

知性までもを取り上げられています。

 

 同情の余地あり。

 

 ところが野獣は、初対面の娘さんに求婚するのです。

「いやです。」と美人のベルは、はっきり断りますが、

野獣は落ち込むものの紳士的に身を引きます。

呪いを解く唯一の方法である「美しい娘が野獣との結婚を承諾する」を伝えずに、

毎晩夕食の席で楽しくおしゃべりした後での求婚は続き、

とうとうベルが耐えきれなくなって「やめてくれ」と言い出す始末。

 

 これは、断る方だって辛い。

 

 なんやかんやあって、瀕死の野獣の元へ駆けつけたベルは、

死を受け入れようとする野獣を前にして、とうとう求婚を受け入れると宣言します。

ベルの言葉で悪い仙女の呪いは解け、野獣の姿は消え、

代わりにベルのそばには王子様が横たわっています。

しかしベルは一目で王子様が野獣だったとは気づきません。

本人から「自分が野獣でした」と言われます。

 

”でもベルは、どうしても野獣のことが気になって、

 たずねないわけにはいきませんでした。

 

 「野獣はここにいますよ。」

 と王子がいいました。”

 

書籍「美女と野獣

ボーモン夫人 著

末松氷海子 訳

 

映画 " Beauty and the Beast "

2017年

ビル・コンドン 監督

 

 ディズニー映画で一番大好きな「美女と野獣」の実写映画を観て、

私は少々がっかりしました。

がっかりした理由の大半は「アニメーション映画と異なる展開やシーンが

とにかくいちいち気にくわない」といういかにもオタクらしいもの。

 時を経て実写を観直してみた時、「公開当初は受け入れられなかったけど、

アニメーションと別物だと思えばこれはこれでいいな」と思ったのですが

やっぱり少々がっかりしたところがありまして、それがこれです。

 

 野獣が王子様に変わったことに対するベルの順応性の早さ。

 

 アニメーションの時には、ベルの戸惑いや確かめるような仕草、

そして気づいた時の驚きと喜びが丁寧に描写されていました。

けれども実写では「目を見て気づいたんだな、野獣が王子様と同じひとだってことに」

とは思うものの、言葉を交わすこともなくキスシーンへ。

 もっと盛り上げてほしかったな、と残念に思います。

 

 野獣の体が光に包まれて人間の男性に変わったら、

それは同一人物で、呪いが解けた野獣の本当の姿だってことはわかります。

おとぎ話なんだから。

ここで新しい登場人物はいらないでしょう。

 でもベルはそうじゃなかった。

言葉を交わして、触れて、目を見て、ようやく気づいたんです。

そして王子様もそれを怒ったりしなかった。

 

 野獣が王子様に変わるってことは、180度反対を向くような極端な変化です。

 ベルは突然現れた知らない男性に驚いたけど、王子様を怖がりはしなかった。

王子様の中に野獣を見つけたから。

自分が愛を誓った相手を見つけることができたから。

 

 しかし!

実写映画をエマ・ワトソンが演じてくれて、本当によかったです。

知的な美人で愛嬌のある栗色の髪が似合う女性は、

彼女の他に候補がないくらい私の中ではイメージ通りでした。

2時間見つめ続けても飽きない美女って貴重です。

本当にかわいかった。

 

【映画のキーワード】

#ディズニー #ミュージカル #2人きりの舞踏会

 

美女と野獣

美女と野獣