映画と本の感想ブログ「映画の本だな」

いつかディズニー映画を英語で観るために頑張るブログ。

映画「クレイマー、クレイマー」

If you destroy that, it may be irreparable.

映画「クレイマー、クレイマー

 

”もっと違った人生とかよりよい人生などありえないのだ、とテッドは思った。

 生きることはそんなに単純なことではない。

 事故だってたまには起こる。

 ビリー、ビリー、あのとき倒れかかったおまえを抱きとめてやりたかった。”

書籍「クレイマー、クレイマー

エイヴリー・コーマン 著

小林宏明 訳

 

映画"Kramer vs. Kramer"

1979年

ロバート・ベントン 監督

 

 フレンチトーストが突然食べたくなったら、どうしますか?

あれって、前日の晩に卵液にパンを浸しておかないと、

中まで味がしみこまないんですよ。

したがって朝起きて、寝起きのぼ~っとした頭で

「あー、フレンチトースト食べたーい。メープルシロップたっぷりめで」

と思っても、それは無理な話なわけ。

 でもこの映画のように、大して漬けずに卵液をパンにまとわせただけで

焼いたとしても、それは好みの問題であって、

確かにこれもフレンチトーストに違いないわけです。

出来上がりの様子が映されないからわからないけれども、

クレイマー家のフレンチトーストは、しっとり系ではなく、

パンの食感を残したい系なのでしょう。

 

 妻に愛想を尽かされた男が一人息子の朝食につくるフレンチトーストで

有名なこの映画「クレイマー、クレイマー

原題では「クレイマー対クレイマー」となっており、

息子の親権をめぐって元夫婦:テッドとジョアンナが対立する様を

表わしています。

 一度は愛し合って結婚した夫婦が、互いの傷をえぐりあうように争い、

自らこそ息子の親に相応しいことを証明しなければなりません。

当然、どちらも無傷ではいられません。

悲しみと疲労に彩られた2人の顔は、よく似ていました。

醜い争いです。

でも、使えるものはすべて使わなくては、法廷で勝つことはできません。

 裁判の結果、「子供の利益を最優先する」という法律原則に基づき、

裁判所は母親に親権を与えます。

絶望する父親。

父親の雇った担当弁護士によれば、父親が幼い子供を母親から

奪い取るのはもの凄く難しい、とのこと。

母性の勝利、ということです。

 

 もし自分が幼い子供で、両親が離婚したとしたら、

どちらと一緒に暮らしたいと思うか想像してみました。

答えは、断然、母親。

いや、まァ、コザクラの家庭の話ですし、妄想の話ですよ。

でも、アンケートをとったとしたら、五分五分になるとは思えないんですよね。

感覚的に、母親派が過半数を獲得する気がします。

想像ではなく、本当にそういう境遇の子供たちにアンケートをとったとしても

やはりそうなるのではないか、と思います。

 そこでもうひとつ、想像してみました。

もし自分が幼い子どもの父親で、妻と離婚した場合、

子どもの親権をめぐって、どのように法廷で争うのか。

妻と子どもの関係性が気になりますが、そこが良好だとして、

かつ自分と子どもの関係性も同じくらい良好だったとします。

いや~、難しいですね。

勝てる気がしない。

 育児自体は、母親と同じことができるでしょう。

母乳による授乳は無理ですが、粉ミルクをつくることに男女の差はありません。

でも、何を言っても、何をやっても、父親である「わたし」は

母親の大仕事:出産の前にかすんでしまう気がします。

子育てが平等でも、出産は不平等です。

生命の誕生に男と女が必要だとしても、

妊娠中にどれだけ男が女をサポートしたとしても、

自分の腹の中で命を育む行為は女にしかできません。

その不平等が、子どもの親権問題において

ほぼ絶対的なまでに強烈な優位性を示しているのでしょう。

 まァ、我々ほ乳類なんで、オッパイには負けますよ、はい。

 

 ふと思ったのですが、現在では代理出産という方法もあります。

日本国内では認められていませんが、

国外では不妊治療として、すでに産業化されているところもあります。

 もし現在で同じテーマを扱うなら、

代理出産で生まれた子どもの親権をめぐる問題に描き直したら

面白いだろうな、と思いました。

そうすれば今度は正真正銘、2人の人間の対決になると思います。

性別による偏りを排除して、法廷に立つ人間ひとりひとりに

向き合えると思いませんか?

 

【映画のキーワード】
#ファミリー #ダスティン・ホフマン #メリル・ストリープ

 

 

 

映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」

So don't sit there and tell me that marriage isn't an economic proposition because it is.

映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

 

”ハンサムで若くて、知性があって、そして、お金持ちなのですもの。

 彼と結婚すれば、わたくしが望んでいるものがすべて手にはいるのです。

 お金めあてだといわれてしまいそうですね。

 でも、わたくしは貧乏がきらいです。”

書籍「若草物語Ⅰ&Ⅱ」

ルイザ・メイ・オルコット 著

谷口由美子 訳

 

映画"Little Women"

2019

グレタ・ガーウィグ 監督

 

 結婚に愛を求めるべきか、生活の安寧を求めるべきか――それこそが問題だ。

古今東西、神話の時代から現代に至るまで、

数え切れない程取り上げられてきた題材ではありますが、

本作の主人公の1人、末っ子のエイミーにとっては自分と家族の大問題です。

 牧師である父親は、金銭面で頼りにすることはできません。

母親は奉仕の精神で生きており、世俗的なことにガツガツしていません。

長女:メグは愛を選び、貧しい男と小さくもあたたかい家庭を築いています。

次女:ジョーは男勝りすぎて、結婚するより文筆業で自立することを望みます。

三女:ベスはみんなの天使だけど病弱で、働かせるなんてもっての外です。

 エイミーは、家族全員を幸せにするためには、

自分が結婚によって裕福になろう、と決意しました。

引用文は母親へ宛てた手紙の中で、その決意を述べたところからとっています。

 19世紀のアメリカでは、今よりずっと女性の自立が難しく、

結婚は家や社会との結びつきを如実に表わすものでした。

エイミーが若く健康な女性として自らを意識し、

洗練された身のこなしや教養を身につけて社交に積極的なのは、

上流社会との繋がり(結婚)によって金銭問題を解決することができるからです。

結婚が2人の愛だけではなく、互いの親族まで含めての経済問題であるとの旨は、

確かに正しいのです。

 それでもエイミーは悩みます。

愛を無視して結婚してよいものか。

やはりそれも、確かに正しいのです。

 

 原作はあまりに有名な児童文学「若草物語」――

自身も4姉妹の生まれだった、アメリカの女性作家ルイーザ・メイ・オルコットが

生み出した、「マーチ家の4人姉妹のなんてことない日常」を描いた作品です。

南北戦争時代のアメリカを舞台に、従軍牧師として家を出た父を待ちながら、

4人姉妹が日々の生活の中で工夫する楽しみやちょっとした幸せを

見つける姿が、この作品の見所です。

 ただし、主人公が4人の少女ということもあり、

子ども向けの文庫本は、漫画調の瞳の大きいキラキラした女の子のイラストが

表紙になっていることが多いです。

これでは男子が寄りつく筈がありません。

表紙のイラストで嫌われて、男子には読まれなかった作品のイメージがあります。

同様の理由で、「赤毛のアン」もおそらく男女で読書率が異なるでしょう。

 そんな過去をお持ちの男性諸君!

ご安心ください、今回の引用書籍はひと味違います!

2019年に発行された本著は、そのデザイン・装丁共にかわいらしさを

内包しつつも、シンプルで品良く仕上げられています。

これなら大人も手にとりやすく、表紙を見る度に明らかな対象性別を

意識せずにすみます。

 気になる方は、ぜひお近くの書店などで現物を手にとってみてください。

思わず自室の本棚に並べたくなるセンスの良さです。

 

 さて、今回の映画化では、シリーズの1・2作目を織り交ぜながら、

4姉妹の生活をたどっていく形式になっています。

 もし原作未読の方がいらっしゃったら、ぜひ先に原作を読むか、

1・2作目のあらすじを通して聞いておくことをおすすめします。

なぜかって?

こんがらがるからだよ!!

主人公が4人と多くて、さらに回想シーンをしょっちゅう挟むので、

視点と時系列の変更が目まぐるしく感じられます。

 コザクラは原作未読アンド1作目の大体のあらすじしか知りませんでした。

したがって冒頭のシーンで「なんでみんな成長しているの……?」と

頭にはてなマークが浮いてしまい、全然映画に集中できませんでした。

仕方がないので、映画は一時中断。

ネットで検索して、若草物語が全4作品で、

この映画では1作目を回想シーンで描きつつ2作目の次女:ジョーの視点を

中心に話を展開していることを知りました。

確認を終え、視聴再開。

邪道に思われるかもしれませんが、

映画の時はこういう方法もあります。

 

【映画のキーワード】
#恋愛 #ファミリー #天路歴程

 

 

 

映画「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛」

But while the bloom had faded, the painting remains.

映画「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛

 

”人びとが夢からさめたとき、花はすでに枯れていたが、

 それを描いた絵画は残った

書籍「チューリップ熱」

デボラ・モガー 著

立石光子 訳

 

映画"Tulip Fever"

2017

ジャスティン・チャドウィック 監督

 

 何を隠そう、花をいけるのが趣味です。

自分1人でいけるのは、まだまだハードルが高いのですが、

生花の扱いに戸惑い、茎ごと握りしめてへし折っていた最初の頃に比べれば、

格段にレベルアップしています。

 こんな風に、習い事は長く続けると、年単位で自分の成長がわかるので

自己肯定感を高めたい方には、どんなジャンルでも構わないし、

なんなら月1回ペースでもいいので、なが~く続けられる趣味をおすすめします。

 

 そう、問題は、花。

 茎が弱くて折れやすい、チューリップです。

 

 チューリップといえば、オランダのイメージとして

風車と共に定着している感がありますね。

原産国がトルコという雑学までセットで覚えられている節もあります。

そのくらい有名。

 そのチューリップネタで、1600年代にチューリップの球根の価格が

大暴騰アンド大暴落したチューリップ・バブルが起こったのはご存じでしょうか。

あら、ご存じでいらっしゃる?

そうですよね、こちらもよく知られたネタですよね。

 今日では、世界ではじめて記録されたバブル経済だったとも言われる、

このチューリップ・バブル

どれだけ特殊な花弁をつける新種のチューリップだったとしても、

所詮「鑑賞用の植物の球根」です。

その「娯楽」に家や土地と同等の価値がつけられ、

より希少な球根を競い合うように奪い合っていた、と聞くと……

まァ、気が触れていますよね。

マネーゲームってこわい。

 

 チューリップ・バブルを背景に恋人たちの罪を描く本作品は、

その内容がズバリ「不倫もの」。

 年老いた裕福な商人の下に嫁いだ若い女性:ソフィアは、

夫婦の肖像画を依頼された若き画家と恋に落ちます。

禁断の恋を実らせるために夫を裏切り、自由と恋を手に入れたソフィアでしたが、

チューリップ・バブルが弾けると共に、自らの熱情が冷めていったのを知り、

1人静かに姿を消すことを選びます。

陰鬱なラストになりそうですが、最後にはそれぞれの登場人物たちの

未来に希望が示され、バブル後の人生にも愛があふれていることを示唆しています。

 

 昼ドラで不倫が「よっ!待ってました!」と言わんばかりに歓迎されるのに対し、

映画という手法で不倫をエピソードに取り入れた時のもの凄い嫌われようは、

親の敵を討つがごとく、です。

必殺命中させてやる、という意気込みを感じさせる痛烈なレビューが光ります。

 そう、この傾向は、何もこの映画に限った話ではないのです。

タイタニック」だって婚約破棄だから暗黙のオーケーがでているだけで、

あれがもしヒロイン:ローズが新婚旅行中に貧乏画家:ジャックと

恋に落ちていたら、いかに名作といえど、批判は免れなかったでしょう。

多分、「沈め!船と共に!」くらいは言われていたはずです。

 映画を制作する上で、不倫を物語の主軸に絡ませることは、

特定のグループ(宗教上もしくは個人的に不倫は絶対に許せない派)を

敵に回すことを意味しています。

そしてこの数は、決して少なくない。

 

 面白いと思いませんか。

世に人の罪業は山ほどありますし、何が誰のトラウマを呼び起こす地雷と

なるかは不明です。

それでも現実の刑法に照らし合わせれば、

おそらく殺人はこの世で一番重たい罪と言えるでしょう。

 でも殺人を取り扱った映画よりも、不倫を取り扱った映画の方が、

観る人は批判的になりやすくないでしょうか。

不倫した主人公には共感しにくくなりませんか。

どんな理由があれ、命を奪う行為は許されないと理性では考えていても、

犯人の背景を思うとつい同情してしまう――こういうのが、

不倫現場では全然感じられないんですよね、なぜか。

 不倫で傷つくのは心ですから、もしかしたら人は無意識のうちに

命よりも心を大事にしようとしているのかもしれません。

命は大事だけどいつかは消費してしまうもので、自分で使い道を決められる。

でも心は他者に影響され、時に手ひどく傷つけられ、

自分ではどう感じるか・感情を受け入れるかを、コントロールすることはできない。

 コントロールできないから、恋に落ちる。

熱情に浮かされる――バブルが起きる、ということなんですかね?

 

【映画のキーワード】
#恋愛 #歴史 #絵画

 

 

 

映画「ゴースト/ニューヨークの幻」

"I love you, Molly. I've always loved you." "Ditto."

映画「ゴースト ニューヨークの幻

 

”「今まで、死んだ人と接触したと思ったことがありますか。」

 この質問に対して、(アメリカ)合衆国の人口の27%にあたる者が

 肯定的な回答をしているのである。”

書籍「人は死ぬ時何を見るのか」

カーリス・オシス/エルレンドゥール・ハラルドソン 著

笠原敏雄 訳
 
映画"Ghost"
1990年
ジェリー・ザッカー 監督

 

 昔、テレビで再放送していたのをたまたま観たことがあります。

およそ20……いや、10数年前ということにさせてください――なのですが、

主題歌の「アンチェインド・メロディ」と相まって、

序盤の恋人たちが泥遊びしているシーンが、もの凄く印象に残っていました。

その時は中盤以降を観られなかったので、どういう話かわかっておらず

その後、映画のストーリーを知った時にはじめて「幽霊ものだったの!?」と

なった次第です。

 このシーン……エロくて好きです。

イチャついているんだからエロいのは当たり前、という意見はちょっと横に置いて。

今日は真面目にエロについて考えてみたいと思います。

朝の10時なんですが、やってみたいと思います。

 

 映画は恋人たちが同棲先のアパートを改修するシーンから始まります。

 主人公:サムの恋人:モリーは陶芸家として活躍しており、

部屋の中には彼女の作品がいくつも並んでいます。

 深夜2時にサムは、モリーがろくろを回して作品を作っているのを見つけます。

眠れない、というモリーの背後に座って彼女の脇の間から腕を伸ばし、

泥だらけのモリーと手を重ねて、2人で作品を形作りますが、

ふざけて――イチャついているので、土はあっという間に崩れてしまいます。

そしてそのままキスシーンへ……という流れです。

 はっきりさせておきますが、私がエロいと感じているのは

キスシーン前のこの一連の流れのことです。

キスシーンというかもうほとんどベッドシーンを予感させるつくりなんですけど、

そこは割と思い入れがないのです。

もちろん、主題歌とマッチして叙情的なシーンであることは間違いなのですが、

そこへ持っていくまでの「恋人2人で深夜に土いじりしている」というところが

ほんまにエロいな、と思うのです。

 何をもってエロいとするかは人それぞれだし、

文化・慣習・年齢・性別によって大きく異なります。

ただし、大多数の人が「これはエロい」判定を出すポイントみたいな、

一般向けエロい基準があると思うんですよ。

コザクラはそれが「手」だと思っていて、もっと言うと「指」なんです。

 人が感情を表わすとき、表情は仮面をかぶれるけど、

仕草は相当意識しないと思った通りに表われてしまいます。

そして末端の手は、一番反応がでやすく隠しにくい場所です。

相手に真意を悟られまいとする時、腕を組んだり、

両手を背後で繋いだりする、あるいはへそのあたりで指先を重ねて

自分の下腹部に押しあてて固定する――なんてことはありませんか?

 その指が愛しい人へ向かっている。

相手に触れたい、と意識の上でも無意識下でも思っている。

頭と身体が同じ方向を向いて、自分以外の誰かに向けられている。

 ましてやこのシーンでは、恋人たちの指先は土に触れながら

お互いに絡ませ合っています。

互いに、求め合っているし、受け入れたがっている、ということ。

もう、それだけで、エロいと思います。

 

 はい、エロの話は終了です。

 

 冒頭の引用文は、関連本として使わせていただきました。

「死者の霊と接触したことがあっても、それを口に出せば正気を疑われる。

それなら何も言わない方がいい」――まあ、普通はそう考えますよね。

でも、口に出さないだけで結構な人数が、実は科学的には説明できない、

魂との交流をしているのかもしれません。

 そういうコザクラの周囲にも、幽霊が見えると自称する方々がおります。

見えないコザクラからすると「こっわ」ですが、

彼らからすると最早日常の風景なんだとか。

別に怖がるものでもなさそうです。

 ただし、映画で幽霊となったサムは、他の幽霊に教えられて、

念力で物を動かす術を身につけました。

誰もいない地下鉄のホーム、風もないのに空き缶が転がったら……

もしかしたら幽霊の仕業かもしれません。

お気をつけくださいませ。

 

【映画のキーワード】

#ラブコメ #ホラー #ライチャス・ブラザーズ

 

 

 

映画「フェノミナ」

f:id:sky_ship:20211228003857j:plain

映画「フェノミナ

 

映画"Phenomena"

1985

ダリオ・アルジェント 監督

 

 「クロックタワー」というゲームをご存じでしょうか?

殺人鬼や怪奇現象に襲われる少女を館から脱出させる、ホラーゲームです。

今は懐かしいファミコン用として1995年に発売されました。

生憎コザクラはプレイしたことがないのですが、

ゲームのプレイ実況動画を漁っている時に見つけて、

そのストーリーに引き込まれました。

 実を言いますとこのゲーム、今回取り上げた映画にインスパイアされています。

制作陣が公言していなかったとしても、

主人公の名前と容姿が映画のまんまなので、映画を観た人がゲームを見たら、

すぐに感づきそうそうなくらいそっくりに作られています。

そしてゲームを象徴するアイテム――鋏。

こちらも映画冒頭で最初の被害者が襲われる時に鋏が使用されています。

ゲームの元ネタとして観賞していたので、思わずニヤリとしてしまいました。

 普通、ここまで似せていたら「パクリじゃん」と白けてしまうと思いますが、

そこがこのゲームの凄いところで、似通っているのはわかった上で

このゲームにしかない面白さがあり、魅力的です。

 

 では、映画は?と言いますと――

――BGMがうるせぇ。

 

 いまだかつてないレベルでドン引くくらい、場面と音楽が合っていない。

というか、ホラー映画――それもジャパニーズホラー特有の

影がゆっくりと、しかし着実に近づいていく緊張感を高めていく静かな音楽が

圧倒的に不足しているように感じました。

犯人に近づいていくシーンで、

恐怖対象が目の前に現れた時の激しい音楽が突然鳴り出すので、

突如バトルフィールドに投げ込まれたみたくなってしまい、戸惑っちゃうの。

 それから死体に虫がたかるシーンが、想像以上にショッキングでした。

コザクラのノミの心臓が縮んだので、ホラーやグロが駄目な人には

おすすめできないな。怖かった。

ウジや芋虫、ハエなどの小さい虫が、

一ヶ所にギュ~ッと集まるのが駄目な人もアウト。

 

 美しいスイスの風景をバックに、ひたすら主人公の美少女っぷりと大量の虫を

眺めたい気分の時は、ぜひ本作品をおすすめいたします。

 

 

映画「ロック・ユー!」

A man can change his stars. I won't spend the rest of my life as nothing.

映画「ロック・ユー!」

 

”トーナメントは若い騎士が名をあげ富を築く絶好の場でもありました。

書籍「オスプレイ戦史シリーズ3 馬上槍試合の騎士」

クリストファー・グラヴェット 著

須田武郎 訳

 

映画"A Knight's Tale"

2001

ブライアン・ヘルゲランド 監督

 

――え、かっこよすぎない?

 正真正銘、これが本作品の第一印象です。

 

「騎士」が「一騎打ち」で「槍を突き合い」、「トーナメント」を「勝ち上がる」

 

 字面だけで、すでに格好いい。

ロマンの塊ですわ。

しかも舞台は14世紀頃、フランスとイギリス。

「大好き」と「大好き」が手を取り合って向かってくる、この感じ。

観る前からわかります。

これ、絶対好きなやつだな、と。

 

 それが、この映画が取り上げている「馬上槍試合」です。

 

 今回引用した書籍では、「日本語版資料」中で

本作品「ロック・ユー!」がおすすめされています。

トーナメントが行われていた中世ヨーロッパの雰囲気をわかりやすく

動画で伝えた映画を、「希有な歴史テキスト」と表現されています。

確かに、長い文章で説明されるより、イラスト1枚あるいは

動画1本見た方が情報の伝達はスムーズですよね。

 書籍自体は正直読みにくいところが多かったのですが、挿絵が豊富なため、

映画を観た後に眺めると「あー、こんな感じだっけな」と良い具合に

復習することができます。

 過去の世界を想像するのは、実はとても難しいことだと思います。

自分の子どもの頃の記憶すら意識しないと思い出せないように、

通り過ぎた時間はあっという間に風化していきます。

歴史上の人間たちが、今を生きる人間と同じように

暮らしていた姿をはっきりと思い描くのは至難の業です。

 そういう時にこの手の書籍や本作品があると、

ぼんやりしがちなイメージが固まりやすいので、助かります。

 

 さて、この映画はカチコチの歴史映画ではなく、

ロック・ミュージックに彩られた、

(当時の)イマドキの若者向けの青春映画です。

ミュージカルかと見紛うシーンもあります。

ヒロインの髪型やらファッションが奇抜です。

エンドロールの後におまけシーンがありますが、下品です。

 これは、現代的考えの主人公が過去の世界を舞台に、

成り上がっていく、というサクセス・ストーリーなのです。

 歴史映画を批判する時に、考証うんぬん検証うんぬん……と相違点を

あげることがありますが、あれってあまり意味がないと思っています。

決して歴史検証など不要、と言っているわけではありません。

そこは必要量の倍くらい用意した上で、「歴史映画」をつくるんだから

映画として面白くさせるために改変・添削していく過程が必要だと思うのです。

 過去に居そうな人物を中心に、起こりえただろう出来事を、

歴史に沿うように舞台セットしてカメラを回しても、

そんな平均的な人の話を観たいとは思いません。

主人公が大昔の人間ならなおさら、今を生きる私に何の関係が?と思います。

 映画も含め、フィクションには極端さが必要です。

過去の世界で極端な正確の人物や突飛すぎる出来事を創作すれば、

必ず認識している過去とのずれが発生します。

そりゃそうです。

実際には起こっていないことを創りだしているのですから、

その結果どうなるかなど、遺物に答えが書いてあるわけがありません。

残された物から推測することはできても、過去を直接目にするわけではないのです。

 そういったわけでコザクラは、歴史ものを楽しむ時には、

その場のノリで緩めに楽しむことにしています。

 過去はフィクション、未来もフィクション。

創作ならではの楽しみを見つけていきましょう。

 

 馬上槍試合。

マニアックな世界観です。

 単にスポーツ好きな人よりか、武道に覚えがある人の方がハマる、と見ました。

弓道部出身者なんかは特に好きそう。

 ロック好きにも勧めたい。

「洋楽ぅ?知りませぬ」なコザクラでもわかる有名曲ばかりなので、

ロックに思い入れのない方も、この映画を観て、挿入歌を好きになりましょう。

 あと、自分でも意外なんですが、恋愛シーンが好印象でした。

主人公とヒロインがもめたシーンは、女子の理想の1つだと思います。

いや、あの、女って……自分でも何やっているかわかんない時があるんですよ……。

 存外、門戸の広い娯楽映画だと思います。

 

【映画のキーワード】

#アクション # #クイーン

 

 

映画「パドマーワト 女神の誕生」

f:id:sky_ship:20211227004059j:plain

映画「パドマーワト 女神の誕生」

映画"Padmaavat"

2018

サンジャイ・リーラー・バンサーリー 監督

 

 評判が賛否両論ある映画って他人に勧めにくいですよね。

ある人にとっての地雷が埋まっていると思うと、万人受けしない映画は

個人のお楽しみ用リストに入れるしかなくなってしまいます。

しかし、それではやはり少しもったいない。

 当たったら、「間が悪かったな」と思って視聴を止めましょう。

無理する必要なんかありません。

映画は娯楽。

一にも二にも、楽しめることが大事です。

 

 本作の地雷:尊厳殉死については、映画冒頭で注意書きがなされています。

尊厳殉死(ジョウハル)とは、戦に敗北した側の女性が集団で焼身自殺を行う、

ヒンドゥー教のかつての風習です。

物語が伝説を下敷きにしたもので、実際の歴史や風俗を賛美あるいは批判する

ものではない旨も一緒に冒頭で説明しています。

……が、そうは言っても神話の世界のお話ではなく、

現代の問題がよりフォーカスされてしまう現実があるために、

映画公開までに社会問題を引き起こしたりもしていました。

 

 コザクラにとってこの映画は、ミュージックシーンの出来が素晴らしく、

言葉がわからなくてもメロデイに惹かれてしまう程音楽が魅力的な映画です。

「歌って踊って表現する」のが売りのインド映画。

もう、なんていうか、そこんじょそこらのミュージカル映画とは、

力の入れようが違います。

 リピートしまくっているのは、主に2曲。

「グーマル(Ghoomar)」と「この世を離れし 我が心(Khali Bali)」

前者は女だけで結婚の喜びの舞を躍るというものらしいのですが、

グーマルがなんなのかネットの情報でははっきりしなかったので不明です。

後者は男だけで武器を持ちながら躍ります。

むさっ苦しいんだが、それもまたいい。

こんなに体がリズムにのって力強く動けたら、そらダンスも楽しいよな、

と羨ましくなること請け負いのおすすめのシーンです。

 「映画は無理!」な方にもミュージックシーンだけは観てほしい。

ていうかもう、ミュージックシーンだけ売ってほしい。

どこで配信しているのか、誰か教えてください。