映画「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛」
”人びとが夢からさめたとき、花はすでに枯れていたが、
それを描いた絵画は残った。”
書籍「チューリップ熱」
デボラ・モガー 著
立石光子 訳
映画"Tulip Fever"
2017年
何を隠そう、花をいけるのが趣味です。
自分1人でいけるのは、まだまだハードルが高いのですが、
生花の扱いに戸惑い、茎ごと握りしめてへし折っていた最初の頃に比べれば、
格段にレベルアップしています。
こんな風に、習い事は長く続けると、年単位で自分の成長がわかるので
自己肯定感を高めたい方には、どんなジャンルでも構わないし、
なんなら月1回ペースでもいいので、なが~く続けられる趣味をおすすめします。
そう、問題は、花。
茎が弱くて折れやすい、チューリップです。
チューリップといえば、オランダのイメージとして
風車と共に定着している感がありますね。
原産国がトルコという雑学までセットで覚えられている節もあります。
そのくらい有名。
そのチューリップネタで、1600年代にチューリップの球根の価格が
大暴騰アンド大暴落したチューリップ・バブルが起こったのはご存じでしょうか。
あら、ご存じでいらっしゃる?
そうですよね、こちらもよく知られたネタですよね。
今日では、世界ではじめて記録されたバブル経済だったとも言われる、
このチューリップ・バブル。
どれだけ特殊な花弁をつける新種のチューリップだったとしても、
所詮「鑑賞用の植物の球根」です。
その「娯楽」に家や土地と同等の価値がつけられ、
より希少な球根を競い合うように奪い合っていた、と聞くと……
まァ、気が触れていますよね。
マネーゲームってこわい。
チューリップ・バブルを背景に恋人たちの罪を描く本作品は、
その内容がズバリ「不倫もの」。
年老いた裕福な商人の下に嫁いだ若い女性:ソフィアは、
夫婦の肖像画を依頼された若き画家と恋に落ちます。
禁断の恋を実らせるために夫を裏切り、自由と恋を手に入れたソフィアでしたが、
チューリップ・バブルが弾けると共に、自らの熱情が冷めていったのを知り、
1人静かに姿を消すことを選びます。
陰鬱なラストになりそうですが、最後にはそれぞれの登場人物たちの
未来に希望が示され、バブル後の人生にも愛があふれていることを示唆しています。
昼ドラで不倫が「よっ!待ってました!」と言わんばかりに歓迎されるのに対し、
映画という手法で不倫をエピソードに取り入れた時のもの凄い嫌われようは、
親の敵を討つがごとく、です。
必殺命中させてやる、という意気込みを感じさせる痛烈なレビューが光ります。
そう、この傾向は、何もこの映画に限った話ではないのです。
「タイタニック」だって婚約破棄だから暗黙のオーケーがでているだけで、
あれがもしヒロイン:ローズが新婚旅行中に貧乏画家:ジャックと
恋に落ちていたら、いかに名作といえど、批判は免れなかったでしょう。
多分、「沈め!船と共に!」くらいは言われていたはずです。
映画を制作する上で、不倫を物語の主軸に絡ませることは、
特定のグループ(宗教上もしくは個人的に不倫は絶対に許せない派)を
敵に回すことを意味しています。
そしてこの数は、決して少なくない。
面白いと思いませんか。
世に人の罪業は山ほどありますし、何が誰のトラウマを呼び起こす地雷と
なるかは不明です。
それでも現実の刑法に照らし合わせれば、
おそらく殺人はこの世で一番重たい罪と言えるでしょう。
でも殺人を取り扱った映画よりも、不倫を取り扱った映画の方が、
観る人は批判的になりやすくないでしょうか。
不倫した主人公には共感しにくくなりませんか。
どんな理由があれ、命を奪う行為は許されないと理性では考えていても、
犯人の背景を思うとつい同情してしまう――こういうのが、
不倫現場では全然感じられないんですよね、なぜか。
不倫で傷つくのは心ですから、もしかしたら人は無意識のうちに
命よりも心を大事にしようとしているのかもしれません。
命は大事だけどいつかは消費してしまうもので、自分で使い道を決められる。
でも心は他者に影響され、時に手ひどく傷つけられ、
自分ではどう感じるか・感情を受け入れるかを、コントロールすることはできない。
コントロールできないから、恋に落ちる。
熱情に浮かされる――バブルが起きる、ということなんですかね?
【映画のキーワード】
#恋愛 #歴史 #絵画