映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
”あれは、とにかく楽しい娯楽作品だったのが裏目に出て、
SF作品としてはきちんと評価されていないと思います。”
書籍「SF映画術 ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語る
サイエンス・フィクション創作講座」
阿部清美 訳
映画"Back to the Future"
1985年
ロバート・ゼメキス 監督
引用文の通り、確かにこの作品には、
ジャンルを忘れて観る人を没頭させる力がある。
とんでもない吸引力の持ち主です。
タイムトラベルをモチーフにした名作は数多くあれど、
その著名度と人気度では他の追随を許さない映画、
続編が2作品あり、全3部作のシリーズものですが、
今回ご紹介するのは第一作目です。
歴史改変SFの醍醐味でもありますが、過去を変えて現在が変わり、
未来からの来訪者が現在を変えて……を繰り返すと、話が複雑になり、
ある段階で脳が「意味わかんなくなってきた」とギブアップしてしまうのです。
2作目以降も面白いのですが、脳の容量があんまり大きくないコザクラには
ちょっと手に負えない情報量なんですよね。
ちなみに、Wikipediaの「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」の
「過去の変異点について」に時間軸とタイムトラベルのタイミングを
まとめた表があります。
こういう風に図式化して物事をまとめられる人って、本当に頭がいいよな。
羨ましいぜ。
さて、題名の「バック・トゥ・ザ・フューチャー:未来へ戻れ」とは、
トラブルから、時間旅行で過去の世界へ旅立ってしまった主人公:マーティの
冒険の目的を一言で表わしたものです。
車を改造して製作されたタイムマシンに乗って、
たどり着いた先は30年前の過去の世界。
そこには、自分と同じ年頃の両親の姿が。
マーティは、タイムマシンの製作者であるブラウン博士(通称ドク)を
探しだし、事情を説明。
はじめは真面目に取り合わなかった博士も、自分しか知り得ない事実を
初対面のマーティが言い当てたことで、
未来の自分の発明が成功したことを確信します。
それから2人は、マーティを未来へ戻すために準備します。
しかし、ここで大きな問題が発生。
マーティは、両親の出会いを意図せず邪魔してしまい、
2人が恋仲になる未来がなくなってしまったのです。
2人が出会わなければ、マーティは生まれない。
つまり、マーティの存在は消えてしまう?
慌ててマーティは、両親をくっつけるべく、奮闘するのですが、
何と母親は父親ではなく、マーティに恋してしまっていて……!?
コザクラは、ここですでにこんがらがっているんですけど、
そもそも2人がいたからマーティが生まれたのに、
そのマーティが2人の出会いを引き裂くってどういうこと???
この論理的パラドックスは「親殺しのパラドックス」の名で知られており、
SFとしての回答は「並行世界ができる」「影響を受けた人物だけが全消滅する」
などありますが、そもそもタイムトラベルがサイエンス・フィクションの域を
出ないため、論理ゲームの勝敗はつかないままです。
あ~。 頭の中がぐるぐるする~。
こうやって文章にすると難解な問題なのですが、
緩急あるリズムと、絶妙な音楽の配置が軽妙な本作は、
実際に鑑賞すると、そんな細かいことはどうでもいいくらいにスピーディです。
上映時間:116分と決して短くはないのですが、
シーンに無駄がなく、畳みかけるような展開の連続なので
パラドックス問題とか、考えている暇がありません。
ハラハラドキドキして、映画に夢中になっている内に
エンドロールを迎えてしまいます。
そこで流れる主題歌は、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの
「パワー・オブ・ラヴ」。
学校の催し物の最中に流される「懐かしい洋楽セレクション」の中に
潜んでいそうなイメージですが、間違いなく名曲です。
映画も主題歌も、歴史に残る作品です。
観たことがない人はもったいない!!
ぜひ、一度観てみてください。
【映画のキーワード】
#SF #冒険 #デロリアン