映画「シックス・センス」
”過去を変えることはできない、ただ失敗を理解することならできる。
何がいけなかったのか理解することは、未来へ進むための後押しだ。”
書籍「シックス・センス」
ジム・デフェリス 著
酒井紀子 訳
映画The Sixth Sense""
1999年
M・ナイト・シャマラン 監督
この映画で何が一番ショッキングだったかと言えば、
主人公の1人が幽霊が見える少年だったことでもなければ、
もう1人の主人公の精神科の先生が幽霊だったというオチでもありません。
自分の娘に洗剤を食べさせていた母親の存在――これが最も忘れがたく、
映画を悲惨たらしめていた気がします。
代理ミュンヒハウゼン症候群――難しい病名はわからずとも、
自分の娘を病気にさせて不幸な母親役を演じている狂った母親なのはわかりました。
そもそも娘の葬式に真っ赤なスーツを着ている時点で、理解できません。
茫然自失のため着替えもままならず、普段着で出席というわけでもなく、
わざわざ着替えてばっちりメイクした上でその服のチョイスはおかしい。
涙目で震える父親に「ひどい母親だな」と言われて、
まるで何の感情もないかのようなのっぺりとした表情で無言を返す姿は
どこか子どもっぽくて、内面の幼稚さが透けて見えて恐ろしい。
ただ憎くて人を殺すのではなく、注目を集めるためだけに
誰かを――それも自分の娘を傷つけることを選ぶ人間がいる。
何よりもそのことに恐怖しました。
……のっけからネタバレしてしまいましたが、
これだけのヒット作なら一定の年齢以上には知られているでしょう。
本作の冒頭には「作中の秘密をまだ観ていない人には教えないでね」という
注意書きが表示されます。
主人公が実はすでに死んでいた――幽霊だった!という秘密は、
映画公開当時、あまりの衝撃で大ヒットを記録しました。
秘密を知った後で観直すと、見落としていた不自然さに手を打ちたくなります。
「見たいものしか見ない」とは、幽霊が見える少年:コールが
幽霊の特性について語った言葉ですが、観客も映画を鑑賞する上では
どうしても主人公の視点を信じ切ってしまうところがあるようです。
明らかに視線が交わらない夫婦や、決して開くシーンが描かれない扉など
幽霊となった精神科医:クロウ博士にとって都合が悪いことは
ことごとく描写されていません。
さて、クロウ博士の助言にしたがって、幽霊とコミュニケーションを
とることにしたコールは、少女の幽霊:キラの願いを叶えることにします。
ちなみにノベライズ版では、少女の名前が「カイラ」になっていましたが、
発音を聞く限りでは「キラ」表記の方が近いようです。
キラの実家はコールの家から遠く、バスで移動する程距離があります。
コールは幽霊について「自分が死んだことに気付いていない」と
言いましたが、もしキラが自分の死に気付いていないのならば
コールにビデオの存在を伝えにくるとは思えません。
キラは自分が死に、次は妹にも母親の魔の手が伸びると思ったからこそ
何としてでも阻止するためにコールの助力を乞うたのではないでしょうか。
さらに、どうやってコールの存在を知ったのかは不明です。
コールの言う通り「幽霊どうしは互いが見えていない」のであれば、
他の幽霊から情報を得ることは不可能です。
こうなると、幽霊の中には自らの死に気付いているが、
何らかの目的のために地上に残ろうとして残った人もいる、と思われます。
そして彼らはどういうわけか、第六感でコミュニケーションをとれる人の
存在と居場所を特定できるようです。
コールにとっては迷惑な話だと理解していますが、キラのように
家族の安全が脅かされていた幽霊にとってはだいぶ救いのある話です。
ノベライズ版は映画の補足をしてくれることもありますが、
キラに関して言えば、彼女は2ヶ月前に偶然、母親の犯行現場を撮影しています。
テープはベッドの下に隠され、彼女の死後、はじめて父親の手に渡っています。
なぜ言わなかったか、いや、言えなかったのかはわかりません。
2ヶ月の間、彼女がどんな思いで死へと向かって生きていたのかを考えると、
なんだかやりきれなくなってきます。
ホラーはホラーでも、「一番怖いのは生きている人間」なホラー映画でした。
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