映画「ピアノ・レッスン」
”「そんなことをしたって、どうにもならん」と青ひげは言いました。
「死なねばならぬ」
そして片手で髪の毛をつかみ、もういっぽうの手で太刀をふりかざして、
今にも首を打ちおとそうとしたのです。”
書籍「いま読む ペロー『昔話』」
工藤庸子 著
映画"The Piano"
1993年
ジェーン・カンピオン 監督
!!注意!!
この映画には、男女のセックスシーンと、指の切断シーンが含まれます。
エロ・グロが苦手な方は、ご注意くださいませ。
事前情報が、ピアノのレッスンを通じて男女が恋に落ちる、というもの
だけだったので、観ている内に「あれ……なんかちょっと、予想してたのと違う」
となり、夫が斧を片手に妻に迫るシーンでは、内心、悲鳴をあげていました。
グロは苦手なので、思わず目をつぶっちゃいました。
だって、本当に切り落とすとは思わなかったんだもん……。
もっと、繊細で叙情的な作品かと思っていました。
眼差しで会話をするような。
いや、確かに、主人公の女性:エイダは話せないので、
感情が瞳に表われているのですが、これはそういう作品ではないと思います。
ピアノを通して、心の交流を行い、互いを知り、恋に落ちる――
――そういうエモーショナルな物語ではなく、
官能小説の映像化でした。
ハーレクイン小説的空気感と言ってもいいけど、
どっちかと言うと、男性向けの官能小説の雰囲気に近いものを感じます。
もしくは、男性が書いた官能小説。
ちなみに、カンピオン監督は女性です。 念のため。
監督の意図は計り知れないけれど、一視聴者としては、
この映画を観た後で、一番印象に残るのが、
エロシーンと身体切断シーンと身投げシーンでした。
性行と暴力と自殺。
やっぱりこれは、官能小説だと思うんだよな。
身体と精神の支配、そこからいかにして自由を得るか――
――映画のテーマも、そこにあるんじゃないかと思います。
ところで、本作には、ある童話の陰がちらついて見えます。
グリム童話やペロー童話に登場する、恐ろしい登場人物たちの数々……。
中でも、彼の知名度と恐ろしさは、突出しています。
男性の女性不信を体現し、女性の好奇心を死をもって償わせる男――
――そう、「青ひげ」です。
作中の劇で「青ひげ」が演じられています。
ここが伏線になっていて、エイダの浮気を知った夫:スチュアートが、
劇で青ひげが、新妻の首を斧で斬ろうとしたのを思い起こさせるかのように、
斧でエイダの指を斬り落とします。
ピアニストの指を!!(憤慨)
劇では影絵を使って、青ひげが妻を殺す、残酷なシーンを表現していました。
でも、練習の時はなぜか手首を狙っています。
本番で首を狙って斧を振り上げているところを見ると、
影絵でうまく表現できるかのテストだったので、手に狙いを定めていたようです。
しかし、このシーンがあるおかげで、観客はスチュアートが
エイダの腕を掴んで切り株に固定し、斧を振り上げる時、
手首ごと斬り落とされるエイダを想像して、ぞっとします。
指にしろ手首にしろ、恐ろしいシーンであることには間違いありませんが、
ピアノを自分の声代わりにしているエイダに対する憎悪の深さが、
類似のシーンを事前に挿入しておくことで、
本来は指1本では済まないことを、示唆しているように感じました。
さて、サウンド・トラックを担当したのは、
イギリスの作曲家、マイケル・ナイマンです。
メインテーマとして、作中で繰り返し使用されているピアノソロ曲
「楽しみを希う心(たのしみをこいねがうこころ)」があり、
多くの人が、一度は耳にしたことがある曲だと思います。
それこそ、ピアノを習っている方は、
レッスンの課題曲として取り組んだ方も多いのではないでしょうか?
楽器の習得には、時間がかかります。
生まれ持った素質も関係しますが、どれだけ才能がある人だって、
練習なしに上手に弾けるようにはなりません。
長く険しいピアノ・レッスンの道。
「この映画の主題歌を弾けるようになりたい!」といった、
目標を持つのもいいかもしれませんね。
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