映画と本の感想ブログ「映画の本だな」

いつかディズニー映画を英語で観るために頑張るブログ。

映画「ジュラシック・パーク」

It simply deals with unpredictability in complex systems.

映画「ジュラシック・パーク

 

“人間は、唐突で急激で不合理な変化が自分たちの存在そのものに

 組み込まれているとは考えない。

 だが、事実はそうだ。

 それを指摘するのがカオス理論なんだよ。”

書籍「ジュラシック・パーク

マイクル・クライトン 著

酒井昭伸 訳

 

映画"Jurassic Park"

1993年

スティーヴン・スピルバーグ 監督

 

 この間、鳥カフェデビューしてきました。

旅先で予定していた行程がことごとく天候理由で中止になってしまい、

空いた時間を潰すために偶然近所にあった鳥カフェにお邪魔しました。

放し飼いの鳥との触れ合いは経験済みだったし、実家にはカナリアもおり、

「まあ、大丈夫かな。鳥はちっちゃいもんね」なんて思っていたんですが……

 めっちゃ怖かった。

 いやマジで。

 モモイロインコって名前から愛らしい小さな鳥をイメージしてたんですが

実物見たら「あれ?大型?」ってなって、手に乗ったと思ったら恐ろしい速度で

肩までやってきて眼鏡・ピアス・髪留めを順に狙われてびっくりしました。

慌てて下ろそうとしたら噛むわ鳴くわで大騒ぎしたあげく、とうとう頭の上へ!

決死の思いで両手で捕まえて下ろしたのですが、その後も付け狙われて

部屋の中をぐるぐる回る羽目に。

延々と噛まれた人差し指には噛み痕がいくつもできており、コザクラは涙目。

 なんでお店のスタッフさんは笑ってたんだ。

笑い事じゃねえぞ。助けてくれ。

 

 映画「ジュラシック・パーク」はその熱狂的な人気から続編が4作も

つくられましたが、1作目が最高にして至上だと思っています。

 孤島に建造されたテーマパーク、琥珀から取り出されたDNA、

そして大地を揺らしながら歩く実在する恐竜――なんてわくわくする設定でしょう!

図鑑の中で「絶滅した生物」として紹介されている恐竜を、

スクリーンの中の作り事とはいえ、生きている姿で目にできるなんて!

 しかしそのわくわくを、血も凍るようなホラー映画さながらの恐怖体験に

塗り替えてしまうのが、恐竜の脱走というアクシデントです。

 

 原作は人物や恐竜の設定が映画とは異なるものの、

「人間にいのちは管理できない」という結論と

「創造物に追われて創造主(人間)は島を逃げ出した」という

おおまかなストーリーに変更はありません。

 原作でも映画でも意見役としてテーマパークを視察した数学者:マルカムは、

カオス理論を論拠としてパークの失敗を読み解いています。

望む未来を得るために現在の条件を整えたところで、

予測した結果が必ず訪れるわけではない。

理論上の条件と実際の条件の小さいが無数の差異によって、

事態は予期せぬ方向へと流れ着く――というのがカオス理論だそうです。

 

 カオス理論の説明が難しくてすんなり頭に入らないのですが、

「昔の生き物をよみがえらせて飼育します。

 彼らには人間を襲う力も意思もありますが、

 どんな風に生きていたのかはよくわかっていません」と聞けば

「やめたら?それ飼うの」と言いたくなります。

 要は不安要素が多すぎるんですよね。

成功のための条件を揃えたつもりになっているけど、

その条件すら憶測の域をでておらず、揃えること自体まず不可能。

そして恐竜の身体的能力と知性を思えば、結果を分析して条件を再調整する前に、

人間に実害が及ぶ可能性が高い。

 同じく意見役として同席した恐竜専門の古生物学者:グラントも、

恐竜との遭遇には喜ぶものの、パークの未来には不安があることを隠しません。

心情的には胸躍るパークであっても、理性は危険と判断するのでしょう。

 

 ラストシーンで満身創痍のグラント博士は、窓越しに海を渡る鳥の姿を目にします。

彼らこそが、恐竜と祖先を同じくするとされる鳥類です。

 生物が発生と絶滅の繰り返しの中で進化を続けてきたことを思うと、

鳥類の鱗や羽毛の中に恐竜が――かつて地球上に存在していた生物が――

垣間見えて、その時間の果てしなさに、なんだかぼうっとしてしまいます。

 

 道理で怖いわけですね、モモイロインコ。

恐竜の親戚は、桃色でわふわふのちっちゃい恐竜ってことか。

 

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